瀬戸内スタディツアー2024 実施報告「島とアートを巡る冒険の3日間」
~内生する旅 直島編~
瀬戸内スタディツアーは、瀬戸内の島々を中高校生が巡る3日間。瀬戸内国際芸術祭サポーターの「こえび隊」が犬島・直島・豊島をナビゲート。学校も年齢も違う子どもたちがチームになり、島を歩きアートに触れる。今年度のツアーは、子どもたち一人一人の感性に委ね、既知のゴールは設定しない。夏の暑い日、船に乗り島に渡る。仲間ができ、アートに向かう。「島」と「アート」が子どもの心にどんなものを創造させたのか。(取材・レポート 松原龍之)

瀬戸内スタディツアー 2日目 直島〜2024年8月8日〜
旅の始まりに〜直島はアートの島〜

なんとなく、みんな浮き足立っていた。8月になり、例外的な暑さを更新していた。今日は直島へ渡る日。直島は僕たちにとって、アートの島。瀬戸内国際芸術祭がスタートしたのは2010年。遡って、ベネッセハウス ミュージアムがオープンしたのは1992年。ベネッセ国際キャンプ場に屋外彫刻を置いたのが1989年。参加している僕たち中学生や高校生が生まれる前のこと。直島は生まれた時からアートの島だった。いつに増して美術部の人も多そうだ。アートの島に期待を膨らませて集合時間を待った。

直島は人気の島だ。すでに直島の経験者もいた。いつもなら宇野港から大きなフェリーに乗り込む。大きな赤いドット模様のフェリー。フェリーは大きな口を開けて、車やトラック、たくさんの人を飲み込んでいく。甲板に出て、太陽と潮風をふんだんに浴びたころ、草間彌生さんの赤かぼちゃが見えてくる。
直島へはチャーター船に乗る。船内では、前回同様に3つのチームに分かれた。5人もしくは6人。どこから来たの?何年生?アートは好き?など、互いのことを知るには短すぎる、あっという間の15分間だった。
宮ノ浦港に到着。チャーター船は、大きなフェリーとは別の場所に到着する。フェリーからたくさんの人が出てくるのが見える。多くの人にとって、ここはアートの島であり、観光の島であることを感じる。

バスに乗り込んだ僕たちは、港を出発。バスの中は快適で、しばらくは車窓の外を眺めていた。バスはぐんぐんと坂を登り、少しずつ眺望が開けてくる。ベネッセハウス ミュージアムの近くまできた時にはすでに海抜が高く、青い空と青い海の大パノラマに思わずため息が出る。キスチョコのような、尖った島・大槌島がきれいに見えていた。
これはなんだろう?〜アートの対話型鑑賞〜

ベネッセハウス ミュージアムはリッチな感じ。エントランスは外国人の来館者も多く、高級ホテルのようだ。美術館は、白い壁に作品が展示されているイメージだったけど、ここは違う。とっても明るい。建物内はスロープがあったり、バルコニーがあったり、円形だったりと歩くのも楽しい。

ここからはグループに分かれて作品を見る。最初の作品は、流木を並べて作った円。床に並べられた流木は何本あるんだろう? 大きさは10人くらいが両手を広げて手をつないだらできる大きさ。流木は瀬戸内海の流れに乗って、直島に流れ着いたのだろうか。大きな木、小さな木、長い木、短い木、平らな木、曲がった木、真っ直ぐな木、いろんな木があるけどきれいな円を描いている。
これはなんだろう? 僕らは円を囲む。これを作った人がどんな思いで、なんの目的で、何を表現しているのかという話はしない。いやしても良かったのかも知れないが、この時はしなかった。正直言って、僕にはわからない。そもそもアートってなんだろう? そんなことから考えていた。
流木は、規則正しいところもあれば、不規則に並んだところもある。自然なままの樹木もあれば、加工された木もある。対話型鑑賞というらしいが、思ったことを話してみる。どこが気になった? 何に見えた? どこが好き? みんな思っていることが違う。未来の都市を上空から見ているようでもあり、顕微鏡で何かの細胞を見ているようでもある。僕の見方があっていいんだな。
流木に集中して、ずっと下ばかり見ていた。ふと目線を上げみたら、窓の外にはやっぱり青空があった。バルコニーには流木ではなく、石で作った円があった。ゴツゴツした石でできた円は流木とは違う世界だ。流木も石も自然のものだけど、印象が違う。そもそも自然界にこんなにきれいな円に並んでいる流木も石も見たことがない。円ってきれいだけど、不自然だ。人が何かの意思を持って手を加えたものが、アートなのだろうか。アートってなんだろう。
次の作品に移動する。長いスロープを降りていく。向かいの壁には、世界各国の国旗が並ぶ。日本、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、見たことのない旗もある。見たことあるけど、わらかいない国もある。100カ国はあるだろうか。世界には幾つの国があるのだろう。
壁にグッと近づいてみる。国旗は着色された砂で出来ていた。国旗は、ところどころに道がある。おそらく中にアリがいてトンネルを掘っている。国旗はトンネルで侵食されて、崩れかけている。疑問が生まれる。これはアートなのか? 作者じゃなくて、アリが作品を作っている。作者は砂で国旗を作る。そのあとはアリが作者ということか。これもアートなのか? よくわからないけど、おもしろくなってきた。


次はミュージアム内を自由に歩いて、自分の好きな作品を探すことになった。写真もあったし、屋外に展示されてもいた。立体もあれば、空間自体が作品だと感じるものもあった。どれが良いとか悪いとかはわからないけど、どれが好きかを探すのは楽しい。作品にグッと引き込まれて、その場所を離れられない人もいた。作品を見ながら、友達と話をしている人もいた。気付いたことを文章でメモする人、何度もあっちへこっちへ歩いている人。興味が湧くものはみんな違うんだな。

作品と向き合うって、想像以上に体力を使う。館外に出れば、真夏の暑さが待っていた。バスは坂を下り、海へ出る。浜辺に突き出したコンクリートの桟橋には、黄色に黒い斑点のあるかぼちゃ。直島のトレードマークとなった草間彌生さんの《南瓜》。多くの観光客がやってくる。アートとして作られたかぼちゃは、いつしか多くの人に愛されるようになり、写真を撮る人がたくさんいる。次から次へとやってくる人の合間に僕たちも写真を撮る。よく考えたら、かぼちゃってこんな形だっけ? こんな色だっけ?

僕らは記念写真を撮った後、港に戻る。直島町商工会を借りてお弁当をいただく。お魚が美味しい。鶏肉も美味しい。ナスが絶品。いろんな声が聞こえてくる。
街を歩けば〜アートが日常になる〜

午後は直島のまちを歩く。直島の東側、本村港の近くには立派な町役場、ホールがある。バスから降りた僕らは「本村ラウンジ&アーカイブ」に立ち寄り、「家プロジェクト」の説明を聞く。まちは道幅が狭く、僕らが歩くのには丁度いい。民家と民家の間にアートがある。まちを歩けば、壁に描かれたイラストや無造作に置かれた彫刻に出会う。ここは歩くだけで、なんだか楽しい。即席でチームを作り、何ヵ所か行ってみた。
真っ先に向かったのは、丘の上にある家プロジェクトのひとつ「護王神社」。古くからある神社らしいが、改修の時にアートとして生まれ変わった。本殿へつながる階段が、ガラスで作られている。階段はあるというのか、ないというのか。階段は地下の石室につながっている。神社という厳かな空気と、不思議な感覚が隣り合わせになる。縦になってしか歩けない細い隧道から外に出ると、少しだけ海が見える。輝く海と流れてくる風。ここに神社が作られた理由が分かったような気がした瞬間だった。

次に向かったのは、「角屋」。白壁の建物に入ると、室内は暗く、中央には薄く水を張った大きなプールがある。水の底にあっちやこっちを向いたデジタル数字。赤色、黄色、緑色。数字は何を意味しているのか。水面の揺らぎで少し揺らいでいるように見えて、夜空のようでもある。静かな空間に身を置き、ただ数字を眺めていた。
最後に訪れたのは「碁会所」。建物の真ん中に通路があり、抜けると中庭が広がる。振り返ると、建物には左右2つの部屋がある。4畳半の部屋にはそれぞれ縁側があって、畳の上には椿の花が落ちている。ホンモノ? ニセモノ? と覗き込む。中庭にはホンモノの椿が植えてあり、冬にはホンモノとニセモノの共演があるそうだ。

アートとアートの間、まちを歩くもの楽しい。日常の中にアートが点在する。ここで暮らす人たちは、どんな気持ちなのだろう。まちを歩きながらアートをめぐる体験がアートだとしたら、まちそのものがアートとも言える。アートってなんだ? またわからなくなった。



直島町商工会に戻ってきた。今日1日を振り返ってみる。アートの島で、たくさんのアートに出会った。朝のワクワクは何だろう。僕たちは何を期待したのだろう。今日見たアートは僕たちに何を教えてくれたのだろう。よくわからなかったな。でもいくつか覚えているものはある。次来たときはまた違うことを感じるのかな。違うことを考えるのかな。また来たいな、アートの島に。