倉敷生まれのモダンな運動人形
岡山の玩具歴訪 vol.3

倉敷市美観地区にある日本郷土玩具館では全国各地の郷土玩具が約1万点展示されている。昭和42年、外村吉之助の進言と玩具提供により開館した。初代館長は玩具コレクターでもあった大賀政章。同館は「即売部」を持ち、倉敷にまつわる言い伝えや伝統をもとにしたいくつかの玩具をスタッフたちで製作、販売していた(現在は休止中)。運動人形、船天神、土びな、ほおずき土鈴、蔵の形をした土製の貯金蔵、でんでん太鼓、手漉き和紙で作られた春駒など数点製作されていた。表紙になった「運動人形」と、そのほかの数点を紹介する。
・運動人形
今号の表紙になっている運動人形は近代以降の作品。2本の棒の間に糸を通し、木製の人形を吊るしている。持ち手を握ると、棒の間に張った糸のねじれが変化し、人形がくるりと回転する。人形は手・脚・胴体でパーツが分かれているので、カタカタとした不思議な動きが楽しい。
・羽島の舟天神
厚手の紙と千代紙を折って作られた船天神。竹串に糸で繋がれており、竹串を壁などに留め吊るす。船に乗り瀬戸内の海をゆらゆらと航海する菅原道真を模したものだろう。倉敷市羽島にある天満宮には菅原道真にまつわるこのような話がある。
右大臣としての位を追われて九州太宰府に左遷された菅原道真はその途中に、道明寺(大阪)に立ち寄って叔母の覚寿尼に会い、そのお礼に自画像を描いた。分かれを惜しんだ覚寿尼は、その後しばらく船路を共にした。梅花の香りにつられて船を降りるとそこには梅の花が満開に咲いた、小さな社があり、そこで梅の花を満喫した2人は東西に分かれ、その社には自画像が残された。現在も羽島天満宮には菅原道真の自画像が祀られている。
・倉敷の土びな
土製の非常にシンプルな形をした土雛。倉敷市玉島地域にある黒崎地区には黒姫という大変美しい娘がいた。あまりの美しさに都に召された黒姫は仁徳天皇の寵愛を受けていたが、皇后の嫉妬により故郷へ戻ることになる。黒姫を忘れられない天皇は皇后に偽って、吉備の国の黒姫を訪ねる。2人は楽しい日々を過ごす。別れた後、黒姫は天皇が残した歌「山県に蒔ける 青菜も吉備人と共にし摘めば楽しくもあるか」を思い、暮らしたとされている。
・倉敷のほおずき土鈴
ほおずきの形をした土製の鈴。振ると中に入った玉が動き、コロコロコロと土鈴特有の柔らかい音がなる。かつて倉敷地方では備中酸漿という名で盛んに栽培され売られていた。ほおずきは四万六千日などの観世音菩薩の縁日でよく売られる風習があった。ほおずき土鈴は観音の妙智力で邪気を払うとの言い伝えもある。
参考文献 『岡山のおもちゃ』(日本文教出版「岡山文庫」1975)
『中・四国おもちゃ風土記』(中国新聞社 1977)
〈出典〉ふえき 86号(2025年1月25日)