財団と人

♯034 あさののいさん

イラストレーター・漫画家

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  • 2025.02.26

2008年『ちいさいおやじ日記』出版をはじめ、WEBで「こんにちは、なぎさん」を発信したり、長島愛生園の機関誌『愛生』で漫画の掲載をしているあさのさん。読む人に癒しや温かみを与えるキャラクターやストーリーはどのように生み出されるのか。イラストや漫画を描く人・あさののいさんにお話を伺ってきました。(聞き手:森分志学)

絵を描くことがコミュニケーション手段

森分:元々は千葉でイラストの仕事をされていたということですが、なぜ奈義町に?

あさの:2012年に和気町に移住して、2016年から奈義に移住しているんです。きっかけは東日本大震災で、都会から離れたところで暮らしたいと思ったんです。もともと自然が豊かな場所で暮らしたいという思いがあったので、まったく知らない土地でしたが思い切って来ました。

森分:大学では何をされていましたか?

あさの:美大の油絵科を卒業しています。

森分:最初のイラストの仕事と、今のイラストって違ったりするんですか?

あさの:一番最初に描いたのが『小さなおじさん』という本なんですけど、タッチはそんなに変わってないと思います。昔から、日常の小さなことを拾って形にする、というのがずっと続いている感じですね。

森分:『小さなおじさん』はどういう発想で生まれたんですか?

あさの:大学3年生の時に一人暮らしをしていて、ほとんど友達もいなくて学校以外は引きこもり状態だったんです。そんなときに“こういうおじさんがいたらいいな”と思いついたのが『小さなおじさん』でした。妖精ですかってよく聞かれるんですけど、そうじゃなくて、普通に社会で暮らしていたおじさんが自信をなくして小さくなっちゃった、という設定なんです。そんなおじさんが近くにいたら、ちょっと共感できるなって思って。

森分:イラストを仕事にしようと思われたのはいつ頃だったんですか?

あさの:“これでやっていこう”って強く意識したわけではなくて、小さい頃から絵を描くこと自体がコミュニケーション手段みたいな感じだったんです。言葉で話すのが苦手で、学校に行けない時期もあったので、人とつながる方法として絵を描いてきました。気がついたら、ずっとそれだけ続けていて、なんとか仕事になったという感じです。

自分と似たような人たちに届けられれば

森分:あさのさんにとってイラストを描くってどういう意味づけをされていますか?

あさの:たくさんの人に届けようというよりは、誰か一人に向けて描いている気持ちがあります。その“誰か”は特に誰でもいいんですけど、私は就職もうまくいかなかったりバイトの面接も落ちたりして、社会の大人としてあまりうまくいかないんだろうなという思いをずっと抱えてきました。そういううまく社会になじめない人たち、つまり自分と似たような人のなかの一人にでも届けばいいなと思って描いています。

森分:例えば、長島愛生園のマンガは、どんな人をイメージして描かれたんですか?

あさの:私が愛生園に入り、入所者の方が書いた作品を読んだりお話を聞いたりして、まず感じたのは“自分は何も知らない”ということでした。本当の意味で相手の悲しみや体験をわかるのは難しいですが、知らないという視点を大切にしたいと思ったんです。だから、同じように知らない人たちに向けて、いっしょに共有するような気持ちで描いています。

森分:一方、奈義の暮らしを描いたマンガはポップな印象を受けました。

あさの:奈義のマンガは、町の人に向けて描いています。移住してきたときは知り合いが誰もいなかったので、コミュニケーションの手段としてマンガを描こうと決めたんです。奈義で暮らすこと=マンガを通じて人とつながることだと思っていて、実際、そのおかげで知り合いが増えました。

森分:イラストの仕事を続ける中で、苦悩や葛藤のようなものはありましたか?

あさの:描くこと自体は好きなので仕事自体に不満はないんですけど、イラストで食べていくのはやっぱり難しいです。経済的に悩むことが多くて、そこが一番の葛藤ですね。

森分:どういうきっかけで依頼が来ることが多いんですか?

あさの:介護関係や演劇関係の方々から依頼をいただいたことが一番多いですね。今は長島愛生園を深く掘り下げているので、全国の療養所や、そこで暮らす方の作品をマンガにしてみたいですね。

学校生活がうまくいかなかった子どもたちへ

森分:マンガがコミュニケーションのツールになって仲間が増えていくのは素敵ですね。今後の目標はありますか?

あさの:子どもたちにマンガを届けたいという思いがあります。社会人としてはうまくふるまえないような大人でもなんとか生きていけるよっていう、そんな作品を学校生活がうまくいかない子どもたちにも読んでもらいたいんです。学校だけが世界じゃないし、弱いままでもいいんだということを伝えたいですね。

森分:例えば、愛生園のマンガを読んだ方からは、どんな感想が返ってきていますか?

あさの:愛生園に行ったことがある人からも感想をもらいますし、「ずっと興味はあったけど、療養所ってなんだか敷居が高くて行きづらかった。マンガで初めて知るきっかけになった」という声も多かったです。

森分:ほかにも、あさのさんの作品を通して印象深かった反応ってありますか?

あさの:最近、不登校時代の気持ちや今思うことを描いたマンガをネットにアップしたんです。そうしたら、町の人から「子どもが今、学校に行けなくて不安だったけど、このマンガを読んで救われた」と言われたんです。それが一番うれしかったですね。

森分:ご自身の過去を作品にするのって、すごく勇気がいることだと思うんですが。

あさの:不登校のことはずっと書かずにいたんですけど、我が子が高学年になって、自分の中でいろいろ感じることがあって思い切って描いてみました。すると、自分だけじゃないんだと思ってもらえたりして、表現してもいいんだなって私自身も救われたんです。

森分:あさのさんが信じているマンガやイラストの力は、孤独だと思っている人を孤独じゃないんだと気づかせてくれるところもあるのかなと思うんですが、いかがですか?

あさの:そうですね。私自身、落ち込んでしまうような出来事があっても「後でマンガにすればいいや」って考えるようになりました。子どもたちにも、いまはすごく苦しいかもしれないけど、それが将来、作品のネタになるかもしれないから大丈夫だよって伝えたいです。

森分:そう思うようになったきっかけとか、転換点って何かありましたか?

あさの:子どもの頃から、つらいことがあると絵やマンガにして自分を慰めるのが当たり前だったんです。今もずっとその延長でやってきた感じですね。

今感じているものを絵で表現するには

森分:これから磨いていきたい表現やスキルなどはありますか?

あさの:自分自身を作品にしてきましたけど、人が生きてきた景色や物語を形にすることにも興味があります。たとえば、隣に住んでるおじいちゃんの子ども時代を聞くだけで面白いですし、マンガにしてみたいんです。自分の母親の少女時代なんかもそうですね。そうなると、相手の話を引き出す力が大事だと思うので、聴く力を育てていきたいです。

森分:描く行為についてはどうでしょう? 磨いていきたいものがあれば教えてほしいです。

あさの:表現したい気持ちをそのまま描くのはすごく難しいです。たとえば愛生園のマンガを描くとき、その人の見てきた世界そのものを描くのは不可能に近いんですけど、それでも自分なりの臨場感を持って描いて、読む人にも臨場感が伝わるようにしたいと思っています。絵に気持ちを乗せる力が必要だと感じています。散歩しているだけでも、実際にはすごく豊かな体験じゃないですか。でもそれをそのままマンガにするのは難しい。今感じているものを絵に載せるにはどうしたらいいんだろうって、最近考えているところです。

森分:こうすればうまくいくかもみたいな、現状の仮説はありますか?

あさの:試行錯誤しているところで、まだ見つけられてはいないんです。マンガはコマの連続でできていますが、景色を描いただけでは“今見ている”という感覚にはなりにくいんですよね。ただ、言葉では説明しづらいんですが、ひとコマにその感覚を閉じ込めるように描けるときもあって……まだ手探りです。

森分:油絵の専攻はマンガやイラストと親和性はありますか?

あさの:すごく近いです。油絵というよりも、美大を目指したときに1年くらいデッサンを猛勉強したんですけど、その経験のおかげでいまマンガを描けていると感じます。技術的なことよりも、「二つ花瓶があるときに、その間の空間をどう表現するか」といった部分ですね。ただ二つの花瓶を描くだけじゃ伝わらない空間や行間を描く感覚が、マンガにも生きていると思います。

虫眼鏡で見るような小さな世界を

森分:あさのさんのマンガは「とある現実がどうトレースされているか」という視点で読むと面白そうですね。ほかにも、こうすればうまくいくかもという仮説などがあれば聞きたいです。

あさの:やりたい表現のひとつとして、物語を大きく描くのではなく、もっと虫眼鏡で見るように小さなテーマにフォーカスしていきたいです。たとえばハンセン病という大きなテーマでも、愛生園の機関誌『愛生』には日々の小さな生活が書かれていて、そこに目を向けることで、「あ、近い存在なんだ」って感じてもらえる。それって愛生園に限った話じゃなくて、どんな生活のなかにもあると思うんです。そんなふうに小さなところにフォーカスしていく表現を試してみたいですね。

森分:『愛生』では、ハンセン病という大きいカテゴリーで見ると距離があるように思えるんですけど、実際に近づいてみると、ひとりの生活者としての姿が見えてきますよね。視点が変わると全然違って見えるのが面白いです。それをどう描いていきたいのでしょうか?

あさの:生き様というより、もっと寄って見た部分を書きたいんです。たとえば、朝目覚めて目を開けて天井が見える、その起き上がるまでの間をマンガにするみたいなイメージです。その一瞬に、その人が何を感じたり、どんなことを思い出すのか。そういう小さな瞬間にも、その人の歩んできた人生が詰まっていると思うので、そこを膨らませて描いてみたいですね。

森分:『愛生』以外で、自分以外の人に焦点を当てた作品はありますか?

あさの:今、長編マンガを描いています。奈義町出身の有名な医師を題材にした偉人マンガなんですけど、できれば偉人としてではなく、小さい頃から医師を目指すまでの過程など、人間らしい部分を描きたいと思っているんです。

森分:その方の資料などはあるんですか?

あさの:100年前の方なので、ほとんど資料が残っていません。有名な賞を取ったという記録くらいで、人となりが分からないんです。でも、どういう人だったのかを描きたいので、私の想像に加えて、町の子どもたちが参加する製作委員会でキャラクターを話し合いながら作っています。結局は、自分の経験やこれまで出会ってきた人たちをもとに想像するしかないんですけど、普遍的なものって誰もが持っていると思うので、それをヒントに描いています。

森分:偉人マンガとなると、史実重視で考えてしまうんですけど、そういうことじゃないんですね。

あさの:そうですね。残っている部分は正確に取り入れますが、「なぜ医師を目指したのか」「なぜ奈義に戻らず研究を続けたのか」など資料がない部分は想像で補っています。

森分:想像を膨らませる意義は、どういうところにあると感じますか?

あさの:そもそも、会ったことがない人について想像するのが面白いんです。同じ景色を見て育ったのかなとか、家の周りを歩いて「ここを歩いてたのかな」って考えたり、家族構成から「こんなことがあったのかな」と推測したり。わからない部分を考えながら、でも何か見えてくるものがあるんですよね。好きになった人を想像するのと似た感覚です。実際にやってみると楽しいですよ。

森分:あさのさんは「他者でもどこか自分と似ている部分があるかもしれない」と信じているからこそ、想像できるんでしょうね。

あさの:そうかもしれませんね。私も「何か普遍的なものがあって共有できる」と信じているところがあります。

「今」が連続している時間感覚を表現する

森分:確かに、不登校の経験を描いたお話とも通じる気がします。掘り下げて書くほど、読み手も「この物語は自分と近い」と感じられる。それを大事にしているんですね。あさのさんがマンガやイラストを描くときの面白さって何でしょう?

あさの:生活していると、“今”ってどんどん流れて消えてしまいますよね。マンガを描くと、その瞬間をパッとつかまえて残しておけるんです。そこが大きな魅力だと思います。

森分:アルバムのような感覚でもありますか?

あさの:そうですね。たとえば、ふいに思いついたことがあって、後でまた思い出せるだろうと思っても、結局すぐに忘れてしまうじゃないですか。そういう、本来なら消えてしまうものを形にして残せるところが魅力ですね。奈義の暮らしを描いたマンガでも、「あのとき感じていたことをそのまま残しておいてよかったな」と思う瞬間があります。

森分:書いておいてよかったと思う気持ちを、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?

あさの:日常の些細なやり取りや家族との会話って、その時は何気なさすぎて通りすぎてしまうけど、思った以上に大切なんです。でも、時が経つとなくなってしまう。私にとっては、そういう小さな出来事を表現する唯一の手段がマンガなんです。

森分:あさのさんは時間感覚が違うというか、たとえば1日を“1”で生きる人と1週間を“1”で生きる人では感覚が変わりますよね。あさのさんは、さらに短い単位で生活しているのかなと感じるのですが、どうでしょう?

あさの:私もそういう感覚があります。虫や微生物みたいに、人間とはまったく違う時間感覚をもつ生き物に興味があって、その“今”だけを生きているような感覚に憧れるんです。ずっとそのテーマに取りつかれているのかもしれません。

森分:どういう憧れなんですか?

あさの:小さな生き物って過去や未来より、今この瞬間を生きているように感じるんです。私たち人間は、何分後に誰が来るとか、先のことに支配されがちですよね。でも小さい生き物は、今この瞬間だけがすごく充実している気がします。そこに憧れますね。

森分:僕たちは「何時にアポがある」とか経済的な時間にとらわれてしまいますが、生き物としての時間軸はあまり意識しなくなっているかもしれませんね。

あさの:そうですね。そう思うと少し寂しさもあって、私はあの感覚に憧れているんだなと改めて気づきました。意味のない出来事を描きたいんです。起承転結にはならなくても、そこに“今”という大事な感覚があると思うので。もっと小さな時間軸ややり取りを描くことで、“今、ここにいる”ということを表現できる気がしています。

森分:芸術の仕事って「ここにも価値がある」と現在の意味世界を拡張することだと思うんです。些末なものとして扱われがちな“今”をアーカイブして表現することで、価値を広げていくのかなと僕は感じました。その意味で、あさのさんの中で、ご自身はアーティストでもあるという意識はありますか?

あさの:ないですね。イラストレーターというのもしっくりこないし、マンガ家と名乗るのも違う気がします。「イラストやマンガを描いてるあさのです」でいいかなと。

森分:表現したいのはマンガやイラストそのものではなく、“今”を伝えることで、マンガやイラストはあくまで手段ということなんですね。

あさの:そうですね。

森分:本日はありがとうございました。

(取材日:2022/11/10)