復活の途上にある久米土人形
岡山の玩具歴訪vol.2
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2023年3月から津山市(旧久米町)の郷土玩具、久米土人形の復元活動をしている。作者が亡くなり二十数年製作が途絶えていたが、2023年2月4日に岸川家を訪ねた際に、人形作りの手伝いをされていた娘の産賀久子さん(79)にお会いし、その翌月から保管されていた型を使っての復元活動が始まった。表紙のイラストは、長友が製作した達磨と福助の実物を元に描いてもらった。
久米土人形は文化二年(1805年)の頃、初代、松岡村右衛門が京都の伏見人形の流れを汲んで造り始めたとされている。作者は、一代目 松岡村右衛門、二代目 松岡健二郎、三代目 今川佐十郎、四代目 岸川春次郎、五代目 岸川武士、六代目 岸川留代。以前は何軒か作り手がいたが、戦後五代目武士さんのみが製作を再開させた。
作州地域では昔から天神様を男児が産まれてから初めての桃の節句にお祝いで天神様を贈られ、毎年の節句に祀られていた。当時、岸川家ではその天神様を主に製作しており、ひな祭りの時期は床の間に天神様を並べ販売をしていたそう。五代目武士さんが1983年あたりまで製作をされており、亡くなられた後、妻の留代さんが六代目として継承された。留代さんが2000年に亡くなられてからは製作が途絶えてしまった。当時手伝いをされていた産賀久子さんは、当初は継承の予定だったがタイミングが合わず思うように製作ができなかった。
現在(2024年8月)で2年目の活動となる。復元のきっかけは2022年12月に軸原からの「久米土人形の型が残っているらしい。復元の相談をしに行かない?」という誘いからだった。連絡先は知っていたが、電話がなかなか繋がらず、グーグルマップ上で人影を確認。その後電話がつながり、後日初めて岸川家を訪ねた。岸川家の玄関には製作が途絶えて二十数年経った今でも多くの久米土人形が飾られ、こちらを向いていた。その後産賀久子さんとお会いし、人形の型や倉庫を見せていただき、当時使用されていた土や道具を確認した。「それでは翌月、実際に作ってみましょう」と約束をし、復元活動が始まった。
岸川家は米農家で、農閑期に人形づくりをしていた。田んぼで粘土質の土を掘り、石や草を取り除く。現在は備前焼の土を使用している。薄く伸ばした粘土を前後二枚の雌型に指で押し詰め、15分ほど乾かす。土が縮んで取り出すことができるので、前後の土を乾く前に繋ぎ合わせる。日陰で4〜5日乾かし、焼かずにその上から、下地塗り、絵付けをし久米土人形が出来上がる。
久子さんや岸川家の方々の記憶、当時の写真や書籍に載っている情報を元に復元を行っている。実際に製作をしてみることで様々なことがわかり、五・六代目の人柄も親族の方との会話でわかってくる。これからも周囲の方のお話も伺いながら、土を触って追体験をしながら、玩具製作を頑張りたい。復元製作した久米土人形を2024年10月5日の岡山神社蚤の市にて販売予定。お近くの方はぜひ、実物を見ていただけると嬉しい。
参考文献 『岡山のおもちゃ』(日本文教出版「岡山文庫」1975)
〈出典〉ふえき 85号(2024年9月25日)