#038 田賀朋子さん
jam tun 代表
アフリカンプリントの布を使ったファッションブランド・jam tun(ジャムタン)。jam tunを直訳すると「平和しかない」ですが、「おはよう」や「こんにちは」、「家族や仕事の調子はどう?」などの返答として使われている現地プラール語の挨拶だそう。ジャムタンを通して、遠い世界を近づける田賀さんの活動に対する姿勢について、お話を伺いました。(聞き手:森分志学)
幼い頃から貧困問題に関心があった
森分:まず、創業されるまでのストーリーを教えてください。
田賀:中学生の頃から世界の不平等に関心があり、香川大学法学部で法律や国際関係学を学びましたが、就職活動の際に一般企業への就職に興味を持てませんでした。貧困問題への関心を捨てきれず、イギリスのマンチェスター大学で国際開発学を専攻。途上国の不平等や貧困を解決する方法を学びました。
森分:国際開発学では具体的にどのようなことを学ぶのですか?
田賀:植民地化の歴史や不平等の解決策、紛争解決、緊急支援など幅広い分野があります。私は特に国連の貧困解消の手法を学びました。ただ、現場を見ていない中での学びに限界を感じ、青年海外協力隊に参加しました。
現場の衝撃、それでも村の人たちと繋がっていたい
森分:そこから創業につながっていくわけですね。
田賀:はい。そんな理由で協力隊を受けて、セネガルが赴任先になりました。そこで、コミュニティ開発の分野に携わりました。村落地域の生活改善がメインの仕事でした。
後のキャリアとして国連機関の仕事を考えていました。そんな気持ちで行ったんですけど、2年間生活していると、支援を受ける側の様子がだんだん見えてきたんです。村に国連の名の付いた支援が来ていたんですが、その支援方法に違和感があって。支援を受けるべき層の人たちが支援を受けられなくて、地位がある人たちが支援を取ってしまう。本当に支援を必要としている人たちは、支援が来たことすら知らされない状況がありました。
国連のプロジェクトも全てが綺麗に回っているわけではないことを痛感したと同時に、私の中で何が正しいのか分からなくなって、モヤモヤした状態で協力隊の任期を終えました。
森分:なるほど。
田賀:ある意味夢を失った状態で日本に帰ってきました。次の就職を考えるなか、やっぱり国際協力への諦めがつかなくて。自分が納得できる、本当に必要としている人に届くやり方を考えていました。2年間お世話になったセネガルのシンチューマレム村では、地域も人も好きになって魅力も感じていたので、離れたくない気持ちがありました。関わり続けたいし、国際協力にも挑戦してみたい。どうせやるんだったら、支援をする・されるの垣根を超えた、個人と個人の繋がりを重視した在り方を理想としたいと思っていました。
帰国して数ヶ月経ったとき、現地で一緒に活動もしていた住民の方と連絡を取って、「日本人向け商品を売ってみない?」と誘いました。長く続くかどうかも分からなかったので、とりあえず売って反応を見て決めようぐらいの感覚でした。初めての出店は2017年4月で、地元・矢掛町の朝市でした。
森分:そのときは売れたんですか?
田賀:とりあえず売ってみて、主催者の方に売上を報告したら、「初回でこれはすごいんじゃないの」と言っていただけたので、ちょっと気を良くして(笑)来月も参加しますと返事しました。
森分:そこから、ジャムタンという名前を決めて、「やろう」と決断したきっかけって何だったんですか?
田賀:その後、毎月のイベントに参加していくうちに、次々と新しいイベントの情報を教えてもらう機会が増えました。また、山陽新聞に記事が掲載されたことで、岡山のJICA関連イベントにも声をかけてもらいました。出店機会が増える中で、店名をどうするか悩み、「ジャムタン」という名前を考えました。
森分:ジャムタンってどういう意味なんですか?
田賀:ジャムが「平和」で、タンが英語で「only」なので、直訳すると「平和しかない」となりますが、現地では挨拶の返事に使われています。朝「おはよう」と言われて、「おはよう」って返しますよね。最初のおはようが「夜平和に寝ましたか?」という意味で、返答のおはようがジャムタンなんです。「平和に寝ました」「平和しかなかったです」に付随して、家族や友達は元気?や仕事の調子はどう?と聞かれたときも全て「ジャムタン」って答えるので、1日何十回と聞くフレーズだったんです。意味も素敵だし、響きもかわいいし覚えやすいかなと思って採用しました。
シンプルに「着たい!」と思える商品をつくる
森分:ジャムタンの活動の構造を知りたいです。
田賀:現地の方に適正な価格で仕立て料や材料費を支払い、商品を買い取って輸入・販売することで、お金や物、仕事が循環する仕組みを目指しています。この形で対等なつながりを築き、現地の人々のやる気次第で生活水準が向上し、雇用が生まれるような環境を作りたいと考えています。
また、日本では国際協力が「意識が高い人のすること」というイメージがありますが、それを崩したいと思っています。かわいい商品として販売し、手に取ってもらうだけで自然と消費活動を通じて現地に仕事やお金が循環する仕組みを作りたいんです。
寄付や募金とは異なり、質の良いものを「ただ向こうで作っているだけ」という感覚で提供し、それを良いと思って購入してもらうことで、実は現地の生活改善に役立っているという流れを作りたい。そうして、一般の人たちに国際協力のきっかけを提供したいと考えています。
森分:生産・販売体制はどうなっていますか?
田賀:2017年の当初、現地の生産者はリーダー1人と見習い1~2人、計3人程度でしたが、現在ではリーダーのもとに10人ほどの弟子がついています。また、弟子以外にも同じレベルの大人が3~4人加わり、大人が5~6人、見習いの青年や学校を辞めた子どもたちを含めると、現在は約20人が関わっています。
私が発注するとリーダーが仕事を割り振り、完成品を発送してくれます。それを受け取った私は検品を行い、日本でイベント出店にして販売します。出店・販売はほぼ私1人です。
森分:出店とネット販売、両方ともされていますか?
田賀:主に対面販売が中心で、一昨年ホームページを整備したものの、イベント出店が増えたためオンライン販売には手が回っていません。ただ、直接販売の方がセネガルの話や商品の良さを伝えやすく、お客さんとの交流も深まるので、この形で良いと思っています。オンラインで顔が見えない相手よりも、直接届けられる方がセネガルとのつながりを感じられる活動の原点に合っていますね。
お客さんの様子を覚えたり、写真を撮らせてもらったりして、その反応をセネガルにフィードバックすることで、現地の生産者のモチベーションを高めるきっかけにもなっています。また、セネガルの生産体制や様子を伝えることも大事にしています。
日本の個人とセネガルの個人がつながる
森分:なるほど。それは、おっしゃっていた「個人と個人の繋がり」と関わってくる?
田賀:はい、そうですね。寄付や募金のような一方向の支援では、現地の発展が見えにくいと感じていました。逆に、現地の人々はどんな人が商品を買っているのかが見えづらい。そこで、相互につながりが感じられる仕組みを目指しました。
例えば、お客さんが作り手のクイエさんの名前を覚えて写真を送ってくれることがあり、逆にクイエさんたちも「この人は以前も買ってくれた」「あの服は何年前のものだ」と覚えてくれています。こうした交流が、現地に行かなくてもつながりを実感できる形になっていて、活動の当初目指していた理想に近づいていると感じています。
森分:ジャムタンの活動を続けていった先に、どんな未来を作りたいと思っていますか?
田賀:長期目標を聞かれることがありますが、私の活動の原点は「帰国後もセネガルとつながりを持ちたい」という思いです。今の時点で目標の一部は達成していますが、つながりを持ち続けることには終わりがないと考えています。そのため、「お互い無理のないつながり方」を大切にしています。作り手には適正な対価を、私自身も利益を得ながら心地よく続けられる仕組みを目指しています。
具体的な未来像を鮮明に描いているわけではありませんが、セネガルを支援や募金の対象としてではなく、「行ってみたい」「会ってみたい」と自然に興味を持たれる存在にしたいです。ジャムタンを通じて、セネガルやアフリカを「貧困」や「かわいそう」というイメージだけでなく、「楽しそう」「かわいいものがたくさんある」と思ってもらえるきっかけを作りたいと考えています。
最終的には、途上国を「支援の対象」としてではなく、旅行先や交流の場として親しみを持つ人が増えることで、世界が少しでも優しくなるような未来につながればと思っています。そのためのきっかけとして存在し続けたいです。
森分:セネガルの地域に主眼があるんですね。
田賀:この活動はシンチューマレム村を中心に始めたもので、もし現地の人々が「もう必要ない」「自立できる」と思うタイミングが来たら、活動を終えることになると思っています。他の地域で無理に続けることは考えておらず、この地域や関わる村人たちが好きだからこそ、そこに還元したい気持ちが大きいです。
現在は縫製業だけでなく、地域全体に貢献する形を模索しています。一昨年からは青少年のサッカーチームを支援し始め、販売活動以外でも、職業訓練校の運営や識字教育など、地域に役立つ方法を考えています。図書館のような施設運営にも興味がありますね。
昨年からは「セネガルに行きたい」という人が増え、実際に訪問者も出てきました。現地とのつながりを深める活動の広がりを、とてもありがたく感じています。
森分:それは嬉しい反響ですね。実際連れて行かれてみて、どうでしたか?
田賀: 私は「連れて行く」というより「受け入れる」という感覚でした。私にとっては良い町ですが、アフリカが初めての人には「大丈夫かな」という心配もあります。そのため、住む場所や食事、水の確保、通訳など最低限のサポートをしつつ、時には放任する部分も設けました。来てくれた方は、村の人々と積極的に関わってくださっていました。村の人たちも、「次は誰が来るの?」と自然に受け入れる雰囲気ができています。
森分: 訪問者が来て良かった瞬間ってありますか?
田賀: 作り手たちが日本からのお客さんを心から喜んでくれたことです。事前に写真を送り、「この服を買った人が来る」と伝えたとき、みんなが本当に喜んでくれました。訪問者の方も、自分が着ている服の作り手に直接会うことで、活動の背景への理解が深まったようです。
また、私にとっても、作り手とお客さんが直接会う場に立ち会えたことは特別でした。これまでもオンライン交流会を開催したことはありましたが、直接会うことでしか感じられない喜びやつながりの深さを実感しました。
特に印象的だったのは、訪問者の方が現地の作り手・クイエさんと最終夜にお互いの思いを語り合ったことです。クイエさんの本音や目標が語られ、私では引き出せないような深い話ができたことで、彼らに新たな活力や希望が生まれたように感じました。
森分: 今後、訪問者を増やしたいですか?
田賀: 現地訪問で商品以上の価値を感じてもらえるのは魅力的です。ただ、安全で快適な住居やトイレ、水浴び場などの環境整備が必要です。今後は土地を取得し、職業訓練や縫製の場を提供するとともに、日本からの訪問者を受け入れられる施設を整備していきたいと思っています。
単なる商品販売ではなく、より深い繋がりや歓迎の形を目指すため、まだやりたいことはたくさんあります。村と繋がりを持ちたいっていうのがやっぱり一番大きいですかね。
「フェアトレード」を重視しているわけじゃない
森分:生地はどのように仕入れているのですか?
田賀:市場で流通する「アフリカンプリント」の中から、日本人向けに良さそうな柄を選んでいます。表裏がきれいで色が染み込んでいる生地は品質が高く、珍しいものです。
森分:製品はどのように企画されていますか?
田賀:自分が欲しいと思えるものを試作し、納得できるクオリティに達したものを生産します。一度に何十着かを発注し販売します。
森分:販売はどこで?
田賀:岡山県内のイベントが中心です。地元の人にセネガルを知ってもらいたい思いが強く、矢掛での出店も続けています。インスタフォロワーの8割が岡山の方で、リピーターも多いです。
森分:お客さんがリピートしてくれる理由ってなんですか?
田賀:お客さんの多くは、まず柄や商品自体を気に入って購入してくださっています。中には私が素材を仕入れて自分で作っていると勘違いされている方もいるほどで、実際セネガルで製作されていることを大々的に伝えてきたわけではありません。それは、作り手さんを紹介したい気持ちがある一方で、「支援」という目線で見られるのを避けたかったからです。私はブランドとしての魅力を大事にし、その背景として生産地がセネガルであることを自然な形で伝えるようにしてきました。
そのため、柄物が好き、服のデザインや着心地が良いといった理由で商品を選ぶ方が大半で、「セネガルで作られているから」「支援になるから」といった理由で購入される方は少ないです。特に最初の頃、新聞やテレビで「セネガル支援」といった見出しで取り上げられた影響で購入する方もいましたが、そういった方は一度で満足して終わる場合が多い印象です。
一方で、商品自体を気に入ってくださった方は、「気に入ったからもう1着欲しい」「他の方にも勧めたい」とリピートしてくださるケースが多く、ブランドの理想の形に近いです。
森分:昨今、エシカル消費がトレンド的に言われていますが、田賀さんはどう受け止めていますか?
田賀:私自身、活動の出発点はフェアトレードやSDGsを意識したものではありません。ただ、外から見るとフェアトレード的な活動やSDGsに関連付けられることが多く、そのために関連イベントや講演を依頼されることもあります。
しかし、私が大切にしているのは「フェアトレード」という言葉そのものではなく、目の前の人と真摯に向き合う姿勢です。それが結果的にフェアな取引や持続可能な活動につながるのだと思っています。また、エシカルやSDGsといった言葉は一部の人には響くかもしれませんが、専門的すぎて伝わりにくい場合もあります。なので、そうした言葉に頼らず、活動の背景や想いを分かりやすく、親しみを持って伝えることを意識しています。
関係する人が、広がる世界が生み出す循環作用
森分:その「目の前の人」が、日本国内や町内の人が対象になりがちですが、それがセネガルの人になったっていいよね、という感覚なのかなと受け止めたんですけど、合っていますか?
田賀:ちょっと違いますかね。それぞれの人が、目の前にいる方や環境に向き合えばいいと思っています。お客さんはそれぞれの生活やそれぞれ向き合う地域や人がいて、私はセネガル含めて私の目の前の地域や人に向き合う、という感じです。
森分:それが積み重なった先に、どんな世界を思い描いていますか?
田賀:大きく言えば、世界平和に繋がると思っています。それぞれの分野に向き合ってほしい一方で、そこから一歩出て、関係する人たちや地域は増やしてほしいとも思っています。それが、紛争や自然災害が起きたときに、気持ちや金額の循環に繋がると思っているので、ジャムタンを通してセネガル、アフリカを知ってくださった方が、向こうで何か起きたときに支援をしてくださったり、自分ごとを増やせるきっかけの一つになれたらいいなと思っています。
森分:お互いに「僕たちの目の前には日本あるいはセネガルの人たちがいるよね」というコミュニティの共鳴は起きるとよいですね。
田賀:起こせたらいいなとは思います。今は日本人が行く側ですけど、今度はセネガルの方が来られると、それは良い循環だなと思うので。
森分:セネガルの人たちにとっても、自分の目の前に岡山の誰かがいるっていう感覚があるのかもしれないですね。
田賀:そうですね。出稼ぎ目的で日本に行きたい人もいますが、今の作り手さんは「お客さんに会いたい」という思いを持っていて、それをサポートしたいと考えています。「会いたい人がいるから行く」という状態は素晴らしいことだと思います。
森分:そう考えると、シンチューマレム村の人は主観的に社会関係資本をたくさん持っている感覚なのかもしれないですね。
田賀:日本人は「これがないから欲しい」と次々に欲望を追い求めがちですが、向こうの人々は家族や健康、平和を大切にし、日常の中で満たされていると感じることが多いように思います。「ジャムタン(平和)」のように、足りないものではなく、すでにある平和や健康を重視する姿勢が印象的でしたね。
(取材日:2023/10/19)