原風景と原体験
風に揺れるタンポポの花の上に、一匹のテントウムシを見つけました。テントウムシは、タンポポの花や茎の上を、一生懸命足を動かして移動していました。その姿を眺めていると、子どもの頃、「なぜこんなにたくさんある足を速く動かせるのだろう」という疑問を持ちながら観察していたことを思い出しました。このタンポポとテントウムシの姿は、今でも私の心にある原風景のひとつといえるでしょう。
「原風景」とは、「原体験から生ずる様々なイメージのうち、風景の形をとっているもの」と定義されています。「兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川」で有名な唱歌「故郷」をその風景としてイメージする人が多いのではないでしょうか。私の原風景も、この歌と同じで幼少の頃からの遊び場だった岡山城や後楽園、西川緑道公園などで、身近な自然と昆虫や鳥などの生きものとの出合いが基本となっているようです。
原風景のベースとなるものが「原体験」です。教育学的には、「生物やその他の自然物、あるいはそれらによって醸成される自然現象を触覚・嗅覚・味覚の基本感覚を伴う視覚・聴覚の五官(五感)で知覚したもので、その後の事物事象の認識に影響を及ぼす体験」と定義されています。
原体験は質だけでなく量も重要です。自然の中で五感をフルに使って物事を感じ、集中し、それを頭で吸収する時間は、将来の「考える力」、「やりとげる力」、「ひらめき」などの能力につながっていくと考えられています。
近年ではこの原体験の重要性が注目されています。ノーベル賞を受賞した日本の科学者(福井謙一先生、白川英樹先生、野依良治先生)も幼少期に充実した原体験があったことが知られています。特に福井先生は「自然との生の触れ合いが科学的な直観を培った」と語っています。
原体験は豊かな自然の中でしか経験できないものなのでしょうか。いいえ。私は身近な自然でも十分できると思っています。
例えば家の近くにある公園。そこにはケヤキやクスノキなどの樹木が植えられているはずです。木々の姿を眺め、落ちている葉っぱに触れたり、においを嗅いだり、樹皮に潜んでいる虫を虫眼鏡で発見したり。大切なのは身近な公園でも「うわ~!すごいな」とワクワク・ドキドキ、心が動くポイントを自分で発見することが重要なのです。
さらに、原体験を共有する人の存在も重要です。例えば子どもがカエルを捕まえてきたとします。それを保護者が「きゃ~、捨てなさい」などと反応してしまうと、その体験はマイナスに進んでしまうでしょう。たとえ苦手な生きものであってもグッと堪えて、最高の笑顔で「かわいいね」とか「よく見つけてきたね」と褒めてあげてください。私の記憶では、持ち帰った生きものを両親は優しい笑顔で迎えてくれていたはず。
子どもの目を見て「どこにいたの?」と質問してみてください。子どもは最高の笑顔で「こっちだよ!」と、その場所までしっかりガイドしてくれるはずです。ぜひ、そこに足を運んでください。なぜならそこには子どもにとってかけがえのない原風景・原体験が存在しているからです。子どもの目を通してその世界を見つめ、新たな発見や感動を味わえることをお約束します。そして自然の美しさ、素晴らしさを感じる心は、ひとつしかない地球を大切にする心につながっていると、私は心から信じています。
〈出典〉ふえき 84号(2024年5月25日)