To the Ball
舞踏会へ
国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。
題名にある“Ball”とは、西洋における正式なダンスパーティーのことだ。華やかな社交的特色の強い正式なもので、招待された男女は燕尾服やイブニングドレスを着て出席するという。
国吉康雄がこの絵を描いた1950年ごろ、ニューヨークでそんな舞踏会へ行く機会があったのだろうか。
国吉の年譜を見ると、1948年、ニューヨークのホイットニー美術館で国吉康雄の回顧展が開かれている。アメリカ美術を顕彰・展示するホイットニー美術館は当時、「すでに亡くなったアーティストについてのみ、回顧展を企画する」という方針を持っていた。その方針を変えてまで、国吉康雄の回顧展を開いたのだ。
そのオープニングパーティーの写真を見ると、会場を埋め尽くす出席者たちの中央に、国吉康雄と妻のサラが座っている。舞踏会ではなかったかもしれないが、まさに華やかな社交の場であり、国吉にとってはおそらく一生のうちで最も晴れやかな、誇らしい日だっただろう。
一方、国吉はこのような手紙を日本の知人に送っている。
「(ホイットニーの回顧展では)自分のハラワタをウォール(壁)に掛けているようだ」。
画家が全身全霊をこめて描く絵画。彼の苦しみも、ユーモアも、欲望も、理性も、そこに表されている。そのようにして一生をかけて描いた作品たちが、大きな美術館に一堂に並べられている。画家にとって、それは体内を公衆の前にさらけだすようなものだっただろう。
壁に掛かっている作品は、表も裏もない自分自身だ、それに比べてパーティーに出席している生身の自分は、社交的な顔でその日の主人公を演じている・・・確たる記録はないが、その日の国吉の気持ちはそのようなものだったかもしれない。
この絵には、舞踏会へ行くために何重にも衣装をまとい、道化の帽子をかぶった人物が描かれている。男か女かもわからないし、まるで両腕を縛られているような不自由そうな格好だ。国吉の絵画に描かれる人物は、しばしば「国吉自身なのではないか」と言われる。自画像はもちろんそのほかの絵でも、男が描かれていても女が描かれていても、それは彼自身なのではないかと。
この作品もまた、本当の姿を見せない―が、その中に確実に存在している―画家自身を表しているのかもしれない。
本作品は、和歌山県立近代美術館での特別展「アメリカへ渡った二人・国吉康雄と石垣栄太郎」平成29年10月7日(土)―12月24日(日)に展示中です。
更新日:2017.12.22
執筆者:江原久美子