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明治生まれの洋画家・中田政夫のデザイン郷土玩具

岡山の玩具歴訪vol.1

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  • 2024.11.27
絵・タケシマレイコ

牛窓の唐子人形、茶屋町の鬼、うわはん人形、桃太郎でこ、備中神楽人形。

手のひらサイズのこれらの人形は『岡山のおもちゃ』(日本文教出版/1975)などでも紹介されていて、戦後岡山の郷土玩具(正確には創生玩具にあたる)として「紀美工芸社」により製作され、土産物として販売されていた。

「紀美工芸社」とは岡山の洋画家・中田政夫(1905-1980)の妻・キミコ(1917-2019)の名前をもじって名付けられた屋号で、政夫が考案した土人形をキミコとその娘たちが製作していた。

昭和31(1956)年に三木岡山県知事から蒜山の土産物を作りたいという依頼を受け、郷土玩具の大コレクターでもあった政夫が「うわはん人形(※)」を考案したのが始まりで、岡山市北区津倉町の自宅で各地の伝説と郷土芸能をテーマに玩具製作をしていた。これらの人形は、瓦粘土を石膏型に詰めて成形し、七輪を重ねた窯で長い時間ゆっくり焼成され、絵付けをして作られる。下地がしっとりと塗られたゆるやかなフォルムで、筆でちょんちょんと描かれたお顔は今見ても可愛らしい。

調査のきっかけは、2023年12月に入手した素敵なイラストレーションが描かれた『鯛惣』(岡山県北区田町にあった岡山の果物・珍味の店。現在は閉店)のパンフレットにあった「政」のサイン。中田政夫の「政」だったのだ。更に驚いたのは『岡山のおもちゃ』を読み直すと津倉町の住所(軸原の住む家から歩いて2分くらいの位置)が紀美工芸社の住所として掲載されていたことだ。近隣の方々に聞いてみると紹介の紹介でご遺族と会うことができ、中田政夫が春陽会所属の画家であったこと、政夫の交友関係、また「山珍」のロゴマーク、「三宅製菓本店」の備中神楽面最中などのパッケージなど数々の岡山になじみのあるデザインをされていることがわかった。それらは2024年3月に開催した「中田政夫のデザイン展」で紹介し、ZINEにまとめた。

玩具から始まった中田政夫の調査がこんなに広がるとは思っていなかった。

各地の伝統をテーマにすることの多い郷土玩具が岡山市の洋画家により作られていたのは、とても興味深い。「この土地の玩具を作って欲しい」という依頼、言われてみたい。そしてうわはん人形が製作され始めてから20年ほど経った当時の新聞記事には「歴史は浅いが、郷土玩具としては定着し始めた。」とあった。中田政夫の仕事は地域に溶け込んだものばかりで、ご遺族が所有する資料や周りの方々の話をたどるしかなかったが、その度にミラクルが起きて非常に楽しい調査だった。

※うわはん人形…岡山県真庭市、蒜山地方に古くから伝わる盆踊り「大宮踊り」の姿を模した土人形。高さ3センチほどで踊りの様子を5個1組で表している。「うわはん」とは囃言葉で歓喜絶叫の声音だろうといわれている。

参考文献 『岡山のおもちゃ』(日本文教出版「岡山文庫」1975)

〈出典〉ふえき 84号(2024年5月25日)