Self Portrait
自画像
国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。
一人の男性の上半身が描かれている。国吉が、画家としてはごく初期の29歳のときに描いたもので、「自画像」というタイトルがついている。
丸く白い帽子、丸く黒い眼鏡、口ひげ、黒い蝶ネクタイ、白いシャツ。目や眉は黒く、ほほ骨が張り、顎は細い。肩はがっしりしておらず、なで肩である。アジアから来た青年が、西洋の服装に身を包んでいる。
彼の背後には、窓か額縁のような四角いものの一部が見える。そのほか背景には何もない。ただ彼が硬く口を結んでじっとこちらを見ているのだが、その彼も、写真でいうならピントがぼけているような、もどかしい感じである。
彼の左目はこちらを見ていて、目が合う。右目は小さく描かれ、どこを見ているかわからない。そういえば顔の形も、肩に入っている力も、左右でかなり違う。
この人物をタテに半分にわけて、右半分と左半分を見てみよう。向かって右側では、少し緊張した感じの若者がこちらを見下ろしている。眉はつりあがり、肩が張っている。その背後の壁に、窓か額縁が見える。
向かって左側は、目を細めて遠くを見ているような、悲しそうな目つきをしている。口は、端が下がり苦しそうだ。肩を落とし、蝶ネクタイもだらりと垂れ下がっている。まるでくたびれた老人だ。
右半分の青年は、「アメリカで画家になろう」という意欲をもつ当時の国吉康雄だろうか。だが左半分の老人は? たった一人で移民としてアメリカに渡り、何年も右往左往して疲れ果てた彼自身なのだろうか。画家として成功するかどうかわからない不安定な将来の自分なのか。それとも故郷に置いてきた父親なのか。あるいはアメリカで苦労を重ねている多くの日系人たちなのだろうか?
いずれにしても、全くの他人ではなく、国吉と密接なつながりのある人である。画家として歩もうとしている若者と、翻弄され疲れ果てた老人。国吉の中には、二人の人物がいる。彼の絵はいつも一筋縄ではいかない二面性を含んでいる。それはすでに最初から、彼自身が相反する複雑な内面をもつ人物だったからなのだろう。国吉康雄はこのあと生涯にわたって、彼自身の心の中と、彼の目に見えるものがないまぜになった独特の絵画を描き続けていく。それらは、静物や女性や風景を描きながらも、常に彼の自画像だったのかもしれない。
本作品は、和歌山県立近代美術館での特別展「アメリカへ渡った二人・国吉康雄と石垣栄太郎」平成29年10月7日(土)―12月24日(日)に出展されます。
更新日:2017.09.15
執筆者:江原久美子