#011 三好祐也さん
NPO法人 ポケットサポート代表理事
長期の入院や自宅療養の子どもたちを
勇気づけ、見守り、寄り添う
小児がんや、心臓病など慢性的な病気によって長期の入院や自宅療養を余儀なくされている子どもたちは、病気だけでなく、学校生活や社会生活にも不安を抱えながら療養生活を送っています。そんな子どもたちを勇気付ながら温かく見守り、寄り添い支援活動をしているNPO法人ポケットサポート。代表理事の三好祐也さんにお話を伺いました。財団ではこの活動が、全国へ大きく広がっていくように応援しています。(聞き手:財団 平山竜美)
直島への交流イベントをきっかけに
広がった支援の輪
平山:NPOを立ち上げられたのは?
三好:2015年の11月11日。ポッキー日です。偶然だったんですけど。
平山:それまでは、NPOを立ち上げる前もご自分で活動をされていたんですね。
三好:僕は大学生の頃から岡山大学病院の中にある入院中の子どもたちが通う院内学級でボランティア活動をしていました。というのも僕自身が5歳の頃からずっと慢性の病気で入退院を繰り返して、中学2年生までほとんど病院にいたんです。小学3年生の頃にできたのが、今の大学病院の院内学級で、義務教育のほとんどをそこで過ごしてきたんです。大学生になった時に、何か特に深く考えてはなかったんですが、通院を定期的にしていて、あるとき看護師さんから「院内学級の手伝いでもしたら?」と言われたのがきっかけで手伝うようになりました。それがこの学習支援の基礎となって今の活動そのものにつながっています。入院している子どもたちは、横のつながりがあまりなくて友達も少ないんです。退院した子どもたちも同じです。もっと交流みたいなのがあればいいなと思って4年前に、僕の地元の香川県の直島に子どもたちを連れて行ったのが交流イベントの始まりです。個人でやってきた学習支援の活動とボランティアさんたちに手伝ってもらった交流イベントが合わさったのが、今のポケットサポートの原点です。
平山:私ももともと教員だったので、担任をした中に院内学級に通っている子どもがいました。ずっと入退院を繰り返していたんですが、担任の先生が子どもの顔を見に行くというか、お見舞いに行って、なかなか院内学級のようにその子に学習をさせることはできませんよね。
三好:そうですね。宿題のプリントとか、学級だよりとか友達とのお手紙とかを持って行くぐらいですよね。
平山:そういう中で、学生さんたちのボランティアが入ってくると、子どもたちも喜ぶでしょう?
三好:そうですね。入院していると検査とか治療がなければずっとベッドの上にいるしかなくて、そういう退屈な時間は、ベッドの上にいる自分のことを病気の自分としか想像できなくなってくるんです。だから誰かが来てくれて、話相手になってくれるとか、勉強を一緒に見てくれたりすると、自分は一人の小学生や中学生なんだというか、学生らしい自分というか、子どもらしい時間に戻れるんです。算数の問題を解いている時とか英語の単語を覚えている時には、僕は病気だって思ってない時間を過ごすことができます。
院内学級で真剣に取り組む時間は、本来の子どもらしい自分に戻れる瞬間かなと思います。そこに院内学級という集える場所とか教えてくれる先生がいるということは、子どもたちが入院する前に行っていた学校だったりとか友達と過ごしていた気持ちの戻れる場所になるのかなと。
平山:三好さん自身もそういう院内学級で勉強された時には外部から大学生みたいなボランティアはいらっしゃらなかったんですよね。院内学級の先生と勉強したんですか?
三好:そうですね。ほとんど担任の先生とでした。卒論を書きに来た大学生のお姉さんとか、小児実習の学生さんが来ると、楽しいですよね。いろんなことを教えてくれたり、遊んでくれたりするのがすごく楽しかった。そういうのも覚えているので、今学生さんが来て子どもたちと関わってくれる、楽しい時間を過ごしてくれているのを見るのはうれしいです。
平山:今の活動のきっかけとなった看護師さんの「院内学級の手伝いでもやってみたら?」という一言が、大きな転機ですよね。
三好:そうですよね。何でこうなったかな。何とも思ってなかったですけどね。
平山:ご自分のご経験があり、看護実習生が来られたり、卒論の大学生が来られたりした時に、今までの生活がちょっとだけ変わって、それにワクワクした思いがあるから、やってみたらと言われた時に、なるほどと思われたのでは?
三好:そうですね。違和感は感じなかったですね。素直にやろうかなと。僕自身もそこの場所が好きだったし、そこで育ってきたというか。すごく感謝している場所なので。
「伝えること」「続けていくこと」
「つなげていくこと」を常に意識
平山:NPOを立ち上げられて、実際に今の活動とボランティアで関わっていた時の活動と何か変化はありましたか?
三好:根本は変わりませんが、NPOになってからは、「伝えること」「続けていくこと」「つなげていくこと」を常に意識しながらやっています。
これまで思ってきたことや経験してきたことを一緒に活動してくれている仲間たちに伝えていくことと、子どもたちと継続して関わっていくこと、ずっといい関係で成長を見守りながら繋がっていたい。
入院中も退院後も不安とか悩みとかが出てきた時に話を聞いたり、久しぶりに会って顔を見たりとかして切れ目のない支援みたいなのができたらいいな、と思っています。今まで以上にいろんな責任が伴うと覚悟もしています。
平山:それは大事なことですよね。学生の間はボランティアを一生懸命できても、卒業したらそのまま切れてしまうところもあるでしょうし、そういったところをずっと先を見通して責任をもってやるというのは、NPOの組織でないと難しいかもしれませんね。
三好:学習支援の現場では、学生さんたちが頑張ってくれていて、交流イベントは週末に行うことが多いので、その時には社会人の方も活躍してくれています。NPO設立が2015年なので、これから大学を卒業した学生さんが社会に出て、また何かのきっかけで、手伝いをしてくれたりとか、戻ってきれくれるというと表現は変ですが、また一緒に何かできるようになるといいなと思っています。医療とか教育とか福祉を学んでいる学生さんたちがほとんどなので、実際現場に出て、子どもたちや病気とかいろいろ困難を抱えた人たちに出会ってからこちらの活動に関わると、また違った視点が広がってくるのかなと思います。
院内学級で新たな目標を見つけて、
生きる意欲見出した少年
平山:実際に子どもたちとの触れ合いの中で、忘れられないことは何ですか?
三好:この活動を始める大きな契機になった出来事があります。中学3年生の冬に入院してきた男の子がいました。その子はサッカーをずっとやっていて、ユースのチームに選ばれるくらいのすごい選手でしたが、病気になってしまってスポーツもできなくなってしまって、すごくふさぎこんでいました。僕はボランティアで病院の中にいたんですが、その子の所に行って1時間2時間一緒にいても、首を縦に振るとか横に振るとか、声がようやく出るか出ないかというところから、徐々に漫画の話とか好きなことの話とかをしていって、院内学級に通うことになったんです。あんまり勉強もしたくないし学校も行きたくないし、友達にも会いたいとも思わないと言ってたんですが、院内学級で同じような境遇でも頑張っている友達や相談に乗ってくれるボランティアの学生、勉強を教えてくれる先生たちと関わっていくうちに、ちょっとずつやる気を取り戻していって、受験を決意して頑張って合格しました。それが僕の母校でした。
退院してからも、会えば「学校が楽しい」とよく話してくれるようになって、「ああ変わったなこの子は」と思いました。そのうち、僕が教育実習で偶然にも彼のクラスに行くことになったんですが、そんな矢先、その子はまた病気が再発して入院することになってしまったんです。ベッドの中で「三好君の授業を受けたかったなあ」と言いながら入院生活が始まりました。
それまでは治療にもあまり積極的ではなかった彼ですが、高校に行って勉強したり友達と遊んだり、高校生活を楽しんできたことで、治療にも前向きになっていました。あるとき「僕、大学生になりたい」と言うので、「何で?」と聞いたら、「三好君の姿を見ていたらすごく楽しそうだから、大学生がいいかなと思って」と言ってくれました。病気になって、入院して一旦は落ち込んでいた彼でしたが院内学級での経験から、彼がまた新たな目標を見つけて、生きる力というか、生きる意欲みたいなのを感じられた瞬間に立ち会えたんです。これって、本当にうれしい出来事でした。
彼の姿を見て、自分の未来を想像できるから頑張れる、それって生きることにつながる力になるんだなと、そのときに強く感じました。
平山:この活動において三好さんの存在は大きいですね。
三好:病院内は横を向いたら病院の人しかいないし、院内学級は先生と生徒の立場ですから、もちろんその中でいい環境を作ってくれてはいますが、第三者というか、普通のお兄ちゃんとかお姉ちゃんとかみたいな関わりのできる人が必要なのでしょう。それと、自分の置かれている環境もしっかり理解してくれる人がいるということが、大事だと思います。
平山:今、理解という言葉を使われましたが、病気の人は「大丈夫?」と言われても、その痛みは本人しか分からない。その痛みや苦しい思いが本当に分かっている人が、そばにいて、その人が同じ苦しみを乗り越えたという思いを感じるから、通じるものがあるんでしょうね。理解という言葉だけですまされましたが、これは大変なことだと思うんです、普通の理解ではすまないことだと思います。
三好:院内学級の先生にも言われました。同じことを言っても説得力が違うと言われましたね。ただやはり、こういうことをしていく上で大事なのは、想像力というか、その人がどういう思いでいるかということを、理解しようとするというよりもう一歩手前で想像してみることが大事なのかなと思っています。
病気になったからこそ逆にできる部分とか
見える部分があるはず
平山:ポケットサポートの名前はどういう意味ですか?
三好:ポケットというのは、そもそも病気とかで入院したり治療をしたりしなければならなくなったときに生まれる、学校とか体験とか生活とかの空白の部分の意味です。ポケットのある子どもと、僕たちが勝手に呼んでいるんですが、たとえば算数の九九を習う時に入院していてちゃんと覚えられなかったということがあったら、その部分の学習や体験がぽこっと抜け落ちている。そういうポケットを持つ彼らをサポートしたいという思いから、ポケットサポートと名付けました。半濁音がつくと、かわいく聞こえる。パピプペポ。略してポケサポと言うんですけど。親しみやすい名前にはしたかったんです。彼らは、病気だから仕方ない、できなくても仕方ないってよく言いますが、勉強ができないのも、遊べないのも、家族と過ごせないのも、本当に仕方ないことなのかな、できないことなのかな、というのを常々思っていました。できないということで自分の存在を消すというか、薄められる気がしています。病気でもこんなことやあんなことができたと言えることがいっぱいあると思うし、病気になったからこそ逆にできる部分とか見える部分があるはずです。そういうことを大事にして、空白のポケットを満たしてあげたいと思っています。
ポケットサポートのスタッフの中には、僕自身もそうですが、幼少期からの病気経験者の仲間が活躍してくれています。僕らは病気は苦の体験もあるけど、そこにとどまらず、それを一つの経験と捉えて、今の自分の生き方で生きているので、そういうことも伝えていきたいと思っています。
平山:同じ境遇のお友達は今どういう仕事をされているんですか?
三好:医療職に就きたいという子たちが多かったですね。なかなか学力のハードルと体力のハードルと、どっちもいるので大変ですけど。僕と同じような病気の子でも看護師を目指して看護師になったりとか、今、ポケットサポートを手伝ってくれている人でも今看護学生で頑張っている子もいます。一般就職して会社員をやっている友達とかもいますし、本屋もいるし、IT関係もいるし、銀行員もいます。20歳で高校を卒業して東京でデザイナーをやっている友達もいます。ポケットサポートのロゴを作ってくれたのが、彼だったんです。最初のロゴでPSポケットサポートと書かれたものを作ってくれました。このロゴを考えてくれて、一緒にポケットサポートという名前を考えてくれたのも彼です。まだその頃は学生だったんですが、今はプロで仕事をしています。病気が再発したために、高校を留年して20歳で卒業したんですけど、それでも自分の夢というか目標を遂げている人たちもいる。
もちろん、そればっかりではないですけど、それがきっかけでなかなか社会に出られなかったりとか、今でもずっとしんどい中、闘病を続けている仲間もいるので。
岡山モデルを作って
いろんな地域に広がっていくといいな
平山:院内学級という言葉は社会的に皆さんに知られていると思われますか?
三好:ようやく少しずつ認知は広がってきているなとは思っています。僕は大学院に進学して病気の子どもたちの教育について研究をしていました。10年ぐらい前は、あまり認知もされていなかったので話を聞いてくれなかった印象が強いです。
平山:まだ社会の認知度は低いかもしれませんね。そういう意味でも、ポケットサポートの活動がどんどん世間的に広がってくれば、プラスになると思いますが、何か今の立場で学校とか行政とか、社会全体とか、何か思いがありますか?
三好:そうですね。僕らが入院してた90年代は入院療養といいますか、長期入院の子どもたちがとても多かった時代でした。あるときから、社会保障費の抑制で早く退院させて、通院しながら治療させる方針に変わってきたという背景があります。そうすると長期入院する子どもたちが減ってきます。院内学級そのものが長期入院の子どもを対象にしているシステムなので、今は平均入院日数は10日前後とか、2週間あるかないかの中で、1ヵ月ぐらいの入院を要する子が通うところなので、その数がそもそも、頭打ちになってきています。一般的に退院したと言ったら元気になって、学校にも通えるし、会社にも通えるとみんな思っているんです。でもそんなことはない。ここからむしろ戦いが始まるくらいの感覚なんです。それが認知されていない部分です。でもむしろそこから病院という管理された場所に居ない中で、いろんな制限を自分たちでかけて、学校生活や社会生活を営んでいくというのはすごく大変なことなんです。
多分これからは病院内の学級は増えない、だけど病気の子どもたちはいろんなところにいる。その子たちがどこに行って何に困っているのかという実態や状況が分からない。まず僕らはそれを知りたいと思っています。どこに行って何に困っていて、どういう状況なのかなということを知らないと、アクセスもできません。彼らが安心して学べる、過ごせる環境を提供するということをしていますが、いくらこれを頑張っても、出席日数にカウントされなければ本当の意味で心理的な安心にはつながならない。制度的な安心もあってようやく本当の安心できる状況が作れると思っています。
僕らが運営するスペースが、フリースクールのような形になって、病気治療中の子どもたちがなかなか普通の学校には通えないけれど、ここだったら安心して過ごせる、学べるという場所になって、それが周りの地域や行政、社会全体に認めてもらえるようになっていくといいなと思います。彼らが地域や社会に出て、僕らの活動にいろんな人が関わってくることで、彼らが安心して過ごせる社会、そういう人たちが増えていくのも大事なところなのかなというふうに思っています。
平山:たとえば不登校などの子どもたちが通うような適応指導教室なら出席日数にカウントされますよね。それと同じように、ポケットサポートのようなところでも宿題を見てもらったり学習をしたりしていけば、出席日数としてカウントしてもらえるようになれば、それだけでも自分が学校に行っている、学習している、出席しているというイメージがわきますよね。
三好 そうですね。学校に行けていない自分というのをすごくマイナスのイメージにとらえていたり、病気で何もできない自分、そのマイナスのイメージをちょっとでもプラスに変えてあげたいし、君たちにはできることがいっぱいあるし、頑張っている君たちを私たちは見ているし、これからもずっと応援したいと思っているというメッセージは伝えていきたいと思っています。
平山 そういう動きは、まだないんですか?
三好 今のところはまだないです。我々みたいな団体はそんなに多いわけではないし、そもそも病気の子たちの学習支援だけをメインにやっているのは、あまり聞いたことがないので、こういう岡山モデルを作っていろんな地域に広がっていくといいなというのも願いです。病気の子どもたちの教育の問題の中で、さっき話した療養中の子どもたちが増えていて、院内学級そのものの話も問題なんですが、高校生たちの学習が今一番の話題で、もう一つの大きいポイントになっています。
高校生たちは義務教育ではないので、そもそも院内学級自体が存在しないし、いくら学習とか勉強を頑張っても出席日数が足りなかったり、単位にならなかったりして留年したり、卒業できなかったりします。これでは彼らはそこで道を閉ざされるような気持ちにもなります。
平山 通信教育はだめなんですか?
三好 昨日も高校3年生で、僕と同じような病気の子と話していたんですが、彼も通信に通っていて、体調の関係で学校のスクーリングができていないから卒業できないと言われたと話していました。レポートを全部出しても認めてもらえず、これだけ頑張ってもだめなのがすごい悔しいと…。高校生の年代の子たちは本当に辛いと思います。
平山 義務教育ではないだけに。
三好 そうですね。たとえば、高校にしても小中学校にしても、入院中とか通院、加療中の子どもたちに対して、二重の学籍を与えてあげる様な規制緩和ができればいいですよね。元の学校に籍を置いたまま、入院中には院内学級に通って、退院したら元の学校に通えるような。高校に籍を置いたまま、入院中は通信制の高校に通って国語なり数学の単位を取って、また元高校に戻れるような…。
平山 単位が動かせればいいんですよね。
三好 そうですよね。一度籍を抜いてしまうと、また受験して戻らないといけない、また一年生からやり直しというんじゃなくて、ある程度柔軟に対応できるようになればいいなと思います。別に悪いことをしてやめているわけではないし、しかも頑張ろうとしている子どもたちに対して、何かできることはないのかなと思います。
いくら頑張っても、何のために勉強するんだよということになってしまうので。
再受験すると覚悟を決めて高校一年生は棒に振るんだという子もいましたし、二十歳で卒業するまで、留年を繰り返しても、自分の今いる高校を卒業するんだと頑張っている子もいます。
平山 高校は単位制ですからね。
三好 やっぱり大きいですね、ここの壁はすごく大きいです。ほとんどの子たちが高校に進学する中で、中学生までは院内学級があるのに。だから入院している高校生たちが言います、中学生たちはいいなって。教えてくれる人がいて、行くところがあってと…。
平山 そうですよね。
三好 口に出して言いますよ。僕らにも部屋がほしいと。
平山 ここの壁はどうにもならないんですかね?
三好 今ちょっとアイディアとしてあるのは、通級指導をというシステムがありますよね。それを病院の中に作って、通級指導という形で、わずかながらでもそれを認めてもらえるシステムが作れないかなと考えています。病気とか障害があって、通常学校に行くのが困難な場合、帰れる指導教室というのも。たとえば地域の中でも、ふれあい教室というふうに作っていたりして、不登校とか発達障害の子どもがそこに通って、自分の学校に籍を置きながら、それを出席にカウントできるというシステムがあるんですが、それを病院の中の一室に作れないかというのがアイディアなんです。
病気で学校に通えない状況にある、それを困難だと認めてくれれば、それはかなえられるはずだと思います。
平山 大きな病院には院内学級がありますが、地方の小さい病院には院内学級がないし、岡山県で院内学級を持っているのは数えるほどですよね。
三好 今は岡山県内で7施設に小学校が7学級、中学校が5学級です。
平山 教員免許を持っている人やボランティアの人が学習指導をして、教育課程のことがきちんとできていると認めれば、単位が認定できるシステム。できそうな話ですよね。
三好 たぶんできると思います。認めてもらうだけといえば失礼だけど、認めてもらうことが必要だと思うんです。我々みたいな団体が社会的に認知されていくということと、実績が少しずつでも上がっていくということが必要になってくる、大事になってくるんだなあと思ってます。
今、岡山市の協働モデル事業で、通院中の子どもたちのポケットスペースというのを始めまして、「院外・院内学級(仮)」みたいな通院しながら治療している子どもたちが集まって学習したり友達と交流したり、そこにボランティアの人たちがいたりとか、そういうところを認めてもらえるように。子どもたちが安心して過ごせる環境が作れて心理的にも体力的にも制度面でも安心できる場所ができるといいなと思っています。そして、そこで病気を経験した人たちが活躍できたら最高だなと思います。
平山 今後の三好さんの夢というか、どういうふうに広げていきたいとか、発展していきたいとか、まだ他にこんなことがしたいとかなどありますか?
三好 そうやって彼らが頑張れる場所を作るのと同時に、なかなか理解してもらうのが難しい病気のことや、そういう人たちがいるんだということを知ってもらえる環境を作っていきたいな思っています。団体を作っていろいろ思ったのが、認知が低いというところです。我々の活動を通して、子どもたち、子どもの頃から病気を抱えて大人になっている人たちもいる、そうやって過ごしている人がいる、それを地域や社会に知ってもらえるような活動をやっていきたいと思っています。
(対談日:2016.10.20)