Fish Kite
鯉のぼり
国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。
横長の画面に、赤い鯉のぼりが大きく描かれている。その口からは何かどろりとしたものがはみ出している。鯉のぼりは空を泳ぐのではなく、胴体の下の人物に抱えられているようだ。しかし鯉のぼりの目には力があり、口のあたりは立体的で、まるで生きているように見える。
鯉のぼりを下から抱えている人物、また周囲に描かれている人たちは、曲芸をしたり、道化師のような扮装をしている。ここはサーカス小屋なのだろうか。
この絵を子どもたちと一緒に見ると、彼らは、描かれているものを手掛かりに、自分がもっている知識や感覚を総動員して、想像を働かせる。——文字の書いてある看板と同じ高さだから、ここはかなり高い場所だと思う。だからこの斜めの棒は綱渡りの綱なのではないか。いや、この棒は鯉のぼりを突き刺している、だから鯉のぼりは苦しんで内臓を吐き出しているんだ。この下の方の人は鯉のぼりを泳がせようと、しっぽをヒラヒラと動かそうとしているのではないか。この人たちはサーカスをしているから、この絵を見ている僕たちもサーカスの小屋の中にいるんだよね。等々。
国吉康雄の絵がいつもそうであるように、この絵には解答は示されていない。
しかし国吉康雄の絵にしては珍しく、この絵には明確な意味を表す記号が描かれている。右上の「JULY4」—7月4日、つまりアメリカ独立記念日である。
アメリカ独立宣言には、アメリカ合衆国の根幹をなす考え方、つまり「すべての人は平等であり、生命、自由、幸福を追求する権利がある」という言葉が記されている。この考え方に賛同する人々によって、この国は成立している。
少年のころ単身で渡米した国吉康雄は、そのような社会で学び、成長し、画家となった。そして日米の戦争の間はアメリカを支持し、日本の軍国主義は世界の自由と民主主義を侵すものだと厳しく批判した。
戦後、国吉康雄は、全米美術家組合の初代会長、ホイットニー美術館での大回顧展、ベネチア・ビエンナーレでのアメリカ代表など、アメリカの画家として最高の栄誉を得た。それは長い間、アメリカにおける独自の絵画を追求し、それを創り上げたことに対する評価だった。
栄光に包まれた国吉康雄が、1950年という時期にあえて「日本」について描いたのがこの絵である。
彼の作品にはいつも、光と影、陽気さと陰鬱さ、美しさと醜さといった相反する要素が表裏一体となって織り込まれている。この絵にも、幾つものエピソードや意味が含まれているが、この絵が描かれてから67年を経た今もなお、私たちがとくに強く感じる点は、次のようなことではないだろうか。
1950年当時、繁栄を謳歌していたアメリカでは、日本に対して、そして世界の人々に対してどのような考えを持っていたのだろうか。日本は自らの占領下にある友好国であり、ソ連をはじめとする共産圏は相容れない敵国である・・・そのような、世界を分け隔てる考えではなく、異なる見方を国吉はここで提示しているように思う。
この絵では、鯉のぼりは苦しそうにも見えるが、しかし一方で力強く、生命力を感じさせる。日本の鯉のぼりは長い間、子どもたちの成長を願って人々が大切にしてきた風習である。アメリカ人がかつて憎み、打ち負かした日本にも豊かな文化と人々の生活と心があり、それは敗戦後の今も、たくましく生き延びようとしている。
アメリカ独立宣言が告げるように、すべての人は平等なのだ。アメリカだけでなく、日本も、またその他の人々も含め、世界中の文化と人々の心が尊重されるべきなのだ。私たちは、この絵のように、ひとつのサーカス小屋の中にいて、時間と場所を共有しているのだ、と。
更新日:2017.04.28
執筆者:江原久美子