Girl No,2
『ここは私の遊び場』
国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。
『少女よ、お前の命のために走れ』という1945年の作品で国吉は、少女が駆けていく先に、薄日射す空の下に続く一本の道を描いていた。その道に先があるとしたら?
翌年に描かれた『ここは私の遊び場』という作品にその道があって、この作品にも少女が描かれた。だが、この作品の少女は「命のために」走ってなどいない。タイトルの通り遊んでいるのだ。しかも崩れた建物、廃墟でだ。前年の作品では判らなかった少女の表情も分かるし、身につけているワンピースも鮮やかに見える。作品の置かれた環境の差による劣化のせいなのか、前年の作品にはなかった雲間に描かれた青空のせいなのか。この絵には他にも気になる点がある。黒い目玉のようであり、国吉の生まれた国の旗のようにも見える布が、国吉作品に度々登場する十字架のようにも見える廃材に引っ掛けられている。布には小さな穴がいくつも開いていて、それが元からなのか、例えば銃弾の痕なのか、そういうことはまるでワカラナイ。少女が遊ぶ廃墟には幾つかの消え掛かった文字や数字、手差し記号もある。廃墟が元はなんだったのか。それも分からない。そして、この作品には似た作品がある。国吉の友人であるベン・シャーンが、ナチスの支配から脱した荒れ果てたパリで遊ぶ子どもたちを描いたシャーンの『解放』という作品だ。1944年のこの作品の少女たちには、タイトルや描かれた時期にもかかわらず、笑顔はない。国吉は第二次世界大戦が終わった翌年にこの絵を描いた。国吉にとっては、このシャーンの作品も、自身の作品にメッセージを宿す「暗号」の役割を果たしているようにも思える。
そのシャーンは、「ヤス(国吉のこと)のことなら何から何まで私は熟知している」と言い、「(国吉の作品は、)何か捉えがたい、何か考えさせる間は、何かに憑かれてしまうような、何か未知の世界に引きずり込まれていくような気がしてならないと言わしめるのだ」と、評した。
この作品は今、香川県直島のベネッセハウスミュージアムに展示されている。
更新日:2016.09.15
執筆者:才士真司