Girl No,1
『少女よ、お前の命のために走れ』
国吉や作品にまつわるコラムをA to Z形式で更新します。
大きな斧を振りかざすカマキリとバッタが対峙する彼方を、小さな女の子が裸足で駆けていく。この絵のタイトルは『少女よ、お前の命のために走れ』という。一見すると、この世のものとは思えない景色だ。少女が小さいのか昆虫たちが巨大なのか判然としない。少女の駆ける先には曇天の空の下に続く、一本の道がある。この絵の意味するところは、ワカラナイ。それでもこの厚い雲を透かし、日差しの予感を感じさせる、黄金色の大地が描かれた光景を見る機会を得た人たちは幸せだ。晩年に続く偉大な画業の幕開けともなるカゼインで描かれたこの絵の色彩は、とても美しい。
国吉作品の絵解きは、盛んに行われてきた。けれど、画家自身は、それをしていない。
アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク以来の友人で、画家のアレキサンダー・ブルック(1898–1980)は、国吉に宛てた献辞に、「批評の多様性」によって、個々の作家のそれぞれの作品を説明しようという試みがなされてきたが、そのことごとくが、「惨めな失敗」に終わってきたと前置きしてから、「真実に最も即した批評家とは、芸術というものについては何も知らないが、私が何を好きかは知っていると言える人々のこと」と続け、自分もそういう者だとした上で、こう結んだ。
私が好きなもの。賞賛し、尊敬し、栄誉あるものとして愛してやまないのは、国吉康雄が残した生涯に渉る作品たちだ。
と、言われても気になる。せめてひとつなりとも、想像のヒントとなるようなことを考えてみよう。この作品が発表されたのは、1946年という年で、第二次世界大戦が終わった翌年のこと。だがここに、アメリカの祝勝ムードというのは感じられない。事実、国吉は次の戦いに身を投じている。それは、国吉の残りの人生をかけた戦いとなる。全米のアーティストたちの社会的地位の向上と、人種を問わない平等な権利の獲得のための闘争が、国吉という偉大なカリスマの登壇を望んでいたのだ。
更新日:2016.07.15
執筆者:才士真司