助成先を訪ね歩く(取材日:2024年5月9日)

島と共にあり続けることが、私たちの使命

飛島ガーディアングループ

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  • 2024.06.24

助成を受けた団体が助成金をどのように活用してきたのか、またその活動が地域にどのような影響を与えているのかを取材しました。飛島ガーディアングループの日置幸(ひおき みゆき)さんにお話を伺ってきました。(取材・文/高石真梨子)

笠岡諸島飛島

飛島(ひしま)は、笠岡諸島のなかの小さな島で、大飛島(おおびしま)と小飛島(こびしま)の総称です。大飛島と小飛島の距離は約1kmで、海を挟んでお互いの島を近くに確認できる位置関係にあり、飛島ガーディアングループは、主に大飛島を拠点に活動をしています。大飛島は、高齢化率90%以上、実質居住人口約40人の限界集落。高齢化と人口減少が進んでいる消滅可能性地域のひとつです。

一方で、島に関わる島外生活者もいます。住民の家族が住民票をそのまま残していたり、青年団として島の行事に携わったりしているのが一例です。島では海の神様を祀る嶋祭りや運動会など、一年を通してさまざまな通年行事を守り続けており、行事の際には、島に戻ってくる人も多く、中には将来島での生活を望む声もあります。飛島ガーディアングループは、そのような島外生活者たちとも積極的に関わろうと活動しています。

参考:飛島の高齢化率及び人口

飛島ガーディアングループ

写真提供:飛島ガーディアングループ

「飛島ガーディアングループ(以下、飛島ガーディアン)は、2018年に当時高等学校を卒業したばかりの若者を中心に結成されました。

メンバーは、月1回の頻度で島を訪れます。組織として飛島ガーディアンを知ってもらう活動からはじめ、拠点である畑の整備や集落支援、アミューズ会(飛島ガーディアンのメンバーが主催するお楽しみ会)の開催など、活動内容の幅を少しずつ広げてきました。

現在は、飛島ガーディアンとして自主的に開催する活動だけでなく、島の人々の通年行事にも密に関わっています。飛島は笠岡諸島のなかで最も高齢化率の高い島なので、通年行事を続けていくためにも重要な存在になろうとしています。

飛島を知り、仲間となった6年間

―飛島ガーディアンが発足したきっかけを教えてください。

日置(敬称略):飛島に関わるようになったのは、井原市にある興譲館高等学校で非常勤講師をしていたときに学校のカリキュラムで飛島を訪れたことがきっかけです。当初は体育などの授業で島を使わせてもらっていて、生徒たちが島の人たちから孫のようにかわいがられるようになりました。生徒たちもすっかり島が好きになって、授業がない日も島を訪れるようになったんです。通信制の高校で元気のない生徒もいたなか、飛島に通うことで生徒たちが活き活きし始めました。

でも、卒業すると島を訪れる「理由」がなくなってしまいます。そこで、生徒たちが卒業した後も「お世話になった島の人たちに恩返しをしたい」と思い、卒業生らと共に「飛島ガーディアン」を立ち上げました。

―飛島ガーディアンが発足して、島の住民の反応はどうでしたか。

日置:飛島ガーディアンを立ち上げた当初の私たちは「ただ島に若い子が来れば島民は喜んでくれる」と思っていたんです。でも、それは勘違いでした。

生徒たちが高校生の頃、島民がかわいがってくれていた理由は「高校生」だから。学校のカリキュラムに「協力」して、生徒たちをかわいがってくれていたんだと思います。高校を卒業して何者でもなくなった若者が、漠然と「恩返しをしたい」と言っても何ができるんだろうって。「何を目的に活動するのか」に迷ってしまったことが、最初の挫折になりましたね。

―発足から今まで、活動内容はどのように変化してきましたか。

日置:まず1年目は、島について学ぶことにしました。飛島の人たちの多くは、海運業を営んでいるので海の神様のお祭り「嶋祭り」を大事にしています。そのため、飛島ガーディアンのメンバーで嶋祭りについて調べ学習をして、実際に島の人たちから祭り唄などを教えてもらって嶋祭りに参加しました。島の人たちと一緒に嶋祭りに参加することでようやく「島に関わる一員」として意識していただけるようになったと思います。

それからは、島の通年行事を徐々に飛島ガーディアンがサポートさせていただいています。島の運動会は、島外に住んでいる家族も集まる一大イベントなんですよ。

写真提供:飛島ガーディアングループ

2年目は、飛島ガーディアンのメンバーで畑を借りてはじめてみました。畑は、私たちにとって最初の拠点です。今までは私たちが島の人たちを訪ね歩いていましたが、畑ができたことで島の人たちが差し入れを持ってきてくれたり、畑仕事を教えに来てくれたりするようになりました。

また、畑ってイノシシに荒らされることもありますし、豊作の年もあれば不作の年もあるんですよね。そういうときに島民と一喜一憂を共にする経験をしてみて、本当の意味で島に関わる一員になれたように思います。

写真提供:飛島ガーディアングループ

3年目を過ぎると、私たちの活動を知った島外の人たちからも「飛島のことは、飛島ガーディアンと一緒に」と言ってもらえることも増え、集落支援員として働くメンバーが出てきたり、市の空き家調査の協力をしたりしました。

その傍ら、飛島の「椿」の植栽や「アミューズ会」という島内のお楽しみ会を企画して、島民と交流する時間も大切にしています。「アミューズ会」では、空手の披露や和菓子作りワークショップなど、飛島ガーディアンにいる子の特技を生かした内容も企画しています。島民からも好評ですし、メンバーたちのモチベーションにも繋がっているんですよ。

組織として島を知る活動から島の人たちの仲間になり、今はメンバーの一人ひとりと島民をつなげていく時期だと思っています。

―2018年発足時から、活動を続けてきて良かったことを教えてください。

日置:飛島ガーディアンで活動するメンバーたちにとって、互いが良いロールモデルになっていることです。飛島には育海(はぐくみ)というフリースクールがあるんですけど、そこに通う子どもたちが飛島ガーディアンの活動を見て「私もやってみたい!」と仲間になってくれることがあります。飛島ガーディアンに入らなくても、島の大きな行事には卒業生がよく遊びに来てくれますね。当初の目的だった「飛島に帰ってくる理由」のような存在に近づいてきた実感があります。

島と共にあり続けること

―なぜ福武教育文化振興財団の助成を受けようと思いましたか。

日置:前職でも教育に携わっていたので、福武教育文化振興財団の助成制度は知っていました。そのため、助成を受けている団体の活動を目にする機会が多くあり、飛島ガーディアンの立ち上げという新しい取り組みに挑戦するタイミングで助成を申請したのは、自然な流れだったように思います。

―当財団の助成を受けて、良かったことは何ですか。

写真提供:飛島ガーディアングループ

日置:まず、助成を受けるために申請書をつくりますよね。そのために事業計画を言語化する作業を通して、自分たちはどんな活動に取り組みたいのかを明確にすることができました。

それから、アフターフォローが手厚いのも魅力的です。今回の取材のように、助成を受けた後の活動にも興味をもって、次年度以降の方針について助言をいただくことも。助成だけでなく、私たちの活動を把握して、道筋を応援してくれていることはとても支えになっています。

―今後の目標を教えてください。

日置:飛島ガーディアンの活動って、ゴールがないから続けられるんです。現在、飛島は高齢化率90%以上で島民が40人程度。高齢化率は年々上がり続け、居住人口は減り続けていますが、私たちは島民がたった1人になっても活動を続けます。

島を守るっていうことは、島に住む人だけでなくその家族や私たちを応援してくれる人たちの「想い」を守ることだと信じているので。

飛島ガーディアンは、島の状況に合わせて常に変化し続ける。島と共にこの飛島にあり続けることが、私たちの使命です。

おわりに

手前左:和田広子財団職員

年を重ねるごとに飛島での活動の幅を広げている日置さんに「飛島ガーディアンのゴールはどこだと思いますか」と尋ねたところ、「私たちの活動は、ゴールがないから続けられるんです」とこの日一番真剣な表情で語り始めました。

飛島は数字だけで見れば実質居住人口は40名程度で高齢化率が高い、いわゆる消滅可能性地域のひとつです。それでも、日々高齢化していく島民と「仲間」として手を取り合うようになったからこそ、島の長い歴史を尊重し、島に帰ってきたいと思う人がいる限り活動を続けたいと強く思うようになったそうです。飛島と飛島ガーディアンが今後どのように歩んでいくのか、ますます楽しみになるお話でした。

成果報告書も併せてお読みください。
https://www.fukutake.or.jp/archive/houkoku/2019_080.html
https://www.fukutake.or.jp/archive/houkoku/2020_023.html
https://www.fukutake.or.jp/archive/houkoku/2021_049.html
https://www.fukutake.or.jp/archive/houkoku/2022_043.html

飛島ガーディアングループ
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