助成先を訪ね歩く(取材日:2023年7月26日)

0歳から100歳までのプレーパークを目指して

NPO法人備前プレーパークの会 代表理事 北口ひろみ

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  • 2023.09.26

助成を受けた団体が助成金をどのように活用してきたのか、またその活動が地域にどのような影響を与えているのかを取材しました。今回は、備前市で活動をしている「NPO法人備前プレーパークの会」代表理事の北口ひろみ(きたぐち ひろみ)さんと、副代表理事の北口政浩(きたぐち まさひろ)さんにお話を伺ってきました。(取材・文/小溝朱里)

プレーパーク

プレーパークは、「冒険遊び場」の別名として使われるようになった名称です。特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会によると、「冒険遊び場は、すべての子どもが自由に遊ぶことを保障する場所であり、子どもは遊ぶことで自ら育つという認識のもと、子どもと地域と共につくり続けていく、屋外の遊び場である」と定義しています(https://bouken-asobiba.org/play/about.htmlより引用)。

世界で最初の冒険遊び場は、1943年にデンマークでつくられました。日本では、1979年にできた羽根木プレーパークが常設で初めての冒険遊び場といわれています。東京都世田谷区に住んでいた大村虔一(おおむら けんいち)・璋子(しょうこ)夫妻が、「Planning for play」(Lady Allen of Hurtwood著)を「都市の遊び場」として翻訳し出版したのを機に、欧州の遊び場を訪ね、帰国後に地域の人たちとともに遊び場をつくったのが羽根木プレーパークでした。

その後全国各地にプレーパークがオープンし、2020年度には冒険遊び場づくりをしている団体が458団体となりました(「第8回冒険遊び場作り活動団体活動実態調査」より)。岡山県内には、備前市のほかに岡山市、倉敷市、津山市、笠岡市、早島町、吉備中央町などにプレーパークがあります。

NPO法人備前プレーパークの会

写真提供:NPO法人備前プレーパークの会

NPO法人備前プレーパークの会は、瀬戸内海を臨む緑溢れる里山の中で、子どもが豊かに育つことを主軸に置き、いつでも誰でも集えることを目指しているプレーパークです。

「森の冒険ひみつ基地」は、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに2009年にオープンしました。子育て支援の場として運営しつつ、子ども大人もみんなで育ち合えることを大切にしています。現在は備前市地域子育て支援拠点として事業を展開中です。

2012年には、「森のようちえん」を試験的に週2日実施し、2015年からは備前市地域子育て支援拠点として週4日運営するようになりました。2017年には認可外保育施設 森のようちえん「森っこえん」として開園し、週5日運営しています。

また2022年には小規模保育園「どんぐりえん」がスタートしました。3施設の運営を通して、遊び場と子育ての場を共存させています。

「ピンチはチャンス」を繰り返し、子育て世代に必要な場に

左:北口政浩さん、右:北口ひろみさん

―活動を始めたきっかけを教えてください。

ひろみ(敬称略):1995年に息子が生まれた時、孤立した子育てとなり、とても辛かったんです。偶然テレビでプレーパークを知り、「自然豊かな場所でのびのびと子どもが遊べる、こんな場所で子育てしたい」と思ったのが始まりでした。

政浩(敬称略):当時は私の転勤で奈良に住んでいました。妻は岡山県を出て生活したことが一度もなく、不安でいっぱいだった上に私は仕事漬けで……。ある時妻が「岡山に帰りたい」と明かしてくれ、仕事を辞めて岡山に帰りました。

ひろみ:岡山に帰ってきて、1年目は津山に、2年目以降は備前に住むようになりました。心のどこかではいつもプレーパークの存在があり、「誰かプレーパークをつくってくれたらいいのにな」と思っていたんです。

気づけば、日本で初めて「プレーリーダー」という職に就いた天野秀昭(あまのひであき)さんの講演会に足を運び、東京のプレーパークに行くバスツアーがあると聞けば参加し、当時は神戸で開かれたプレーパークの全国集会に行き、どんどん行動するようになって。「プレーパークをつくりたい!」と、次第にスイッチが入っていきました。

のちにおかやまプレーパークに通うようになりました。当時私が働いていた子育て支援施設に通う保護者の方にも「プレーパークというのがあってね、一緒に行ってみない?」と誘ったり、「備前にも、プレーパークがあったらいいと思わない?」と話したりしていました。

最初に遊び場をつくったのは、自分の家の庭です。息子や近所の子どもたちが日常の中で遊ぶところから始めました。

―家の庭という限られた遊び場から、開かれたプレーパークへと変化したのですね。

ひろみ:我が子や近所の子だけでいいのかな?と思い始めましてね。「もっと多くの子どもたちに、日常遊びの積み重ねのなかで共に育ち合う場をつくりたい」「私と同じような、孤立しているお母さんたちもつながり合える場にもしたい」と、2005年に備前プレーパークの会を立ち上げました。

最初は地域の公民館の広場を借りたのですが、実施したら約300人も来てくださいまして。プレーパークをみなさんが求めてくださったことや、私自身がプレーパークをつくるまでに10年もかかったことが感慨深く、思わず涙が出ましたよ。

備前プレーパーク(写真提供:NPO法人備前プレーパークの会)

―18年経って活動の幅が益々広がっていると思いますが、特に印象に残っていることはありますか?

ひろみ:立ち上げから約3年経った時、一緒に活動する仲間がいなくなり、活動場所も失ってしまって「もう辞めないといけないかな」と考えざるを得ない時がありました。

最初の3年間は、場所も色々なところを借りながら不定期で開催していました。楽しかった一方で、開催するたびに遊び道具を運ぶ必要があって、すごく大変だったんです。地域の方もみんなボランティアで手伝ってくださっていたので「いつまでやるんかな?」と言われてしまいました。

また場所を貸してくださった公園や地域の方にも、最初は快諾いただいたのですが、木や水などの自然素材、ロープなどの遊び道具を持ち込むうちに「管理責任上、物を持ち込んで何かあったら困るな」と不安になられたようで。「他でやってほしい」と断られてしまいました。

本当に辞めるしかないかもしれないと心が折れていたところに、「辞めるな、ここで辞めたら二度と備前にプレーパークはできんぞ」と声をかけてくださった、地域の方がいました。「一緒にやろう」と、私有地の山を貸していただけることになったんです。それが現在の「森の冒険ひみつ基地」の場所。ピンチはチャンスって、本当なんだなと思いました。

備前プレーパーク(写真提供:NPO法人備前プレーパークの会)

―活動存続のために、力を貸してくださったのですね。

ひろみ:感謝してもしきれない方が、本当にたくさんいます。備前市さんもそうです。地域の子育て世代のニーズに応えるために備前市さんに相談したところ、「備前市地域子育て支援拠点」という、外遊びが存分にできる5つ目の事業として、前向きに考えてくださいました。その後NPO法人化などの体制を整えたことで採択いただき、私達の事業を続けることができたんです。

2011年に東日本大震災があって、備前市には移住者が増えました。同時にプレーパークの利用者も増えて、色々なニーズを聞くようになったんです。月に1回開催していたところ、「1回じゃもったいない。もっと開いてほしい」と言ってくださる方が増えて、週に2日開催するようになりました。今では週に5日開園しており、ニーズがあったおかげで今があります。

とはいえ資金がたくさんあるわけではないので、引き続き備前市さんにお力添えいただいたり、福武さん含めて助成金をいただいたりしながら何とか乗り越えて今に至っています。

ニーズに出会うたび、応える挑戦を続ける

―福武教育文化振興財団の助成を受けた理由を教えてください。

ひろみ:私たちがつくる場所を、子どもやその親だけでなく、地域全体から愛される場所にしたいと思っていました。その思いを実現するイベントを開催したくて、福武さんの助成を申請させていただきました。

初めて助成を受けた2016年は、「〜幼老共生・自然共生・地域共生〜 食と文化でつながる『地域交流コミュニティカフェ』プロジェクト」と題して、食を通じて多世代交流の場づくりに挑戦しました。

その後、2018年には森っこえんの事業内で行った農園づくりのサポートを。2019年は里山整備、2021年には不登校の子どもたちの居場所づくり事業を、福武さんの助成を受けて実施してきました。

2023年の今年は「『みんなのおうち』をつくろう!」と題し、保育室と交流スペースとなる施設を子どもたちを交えながらつくるプロジェクトを行っています。

『みんなのおうち』をつくろう!」の様子(写真提供:NPO法人備前プレーパークの会)

―年によって違うプロジェクトで当財団の助成を申請いただいていますが、助成を受けてよかったことは何ですか?

ひろみ:私たちは、その時に出会うニーズを聞いて「これは必要だな」と思ったらやってみることを大切にしています。でも新しいことへの挑戦は、資金がないとできない場合もあって。福武さんの助成を受けることで、ニーズに応える挑戦をさせていただいています。

過去に行った農園づくりも、不登校の子どもたちのための事業も、ニーズがあったから挑戦しました。困っている人の声や「もっとこうなったらいいのに」という思いを聞くと、力になりたい、実現したいと思ってしまうんです。そういう時に福武さんには力になっていただけて、大変ありがたいなと思っています。

―今後の目標を教えてください。

政浩:今後は「0歳から100歳までのプレーパーク」をコンセプトに、多世代交流施設にしていきたいと思っています。子どもだけでなく、大人もやってみたいことにチャレンジしたり、また地域の方々に関わってもらいながらみんなで子育てしたりしていく場にしていきたいです。

具体的には、現在山の中にある「森の冒険ひみつ基地」は、森っこえんやどんぐりえんのすぐそばに移して、子育ての場と遊び場をより融合させる「コミュニティエリア」にしていく計画です。

ひろみ:福武さんからの助成を振り返った今、「多世代交流の場をつくりたい」という思いはずっとあったんだなと気が付きました。

今まで単発で少しずつ取り組んでいた事業が、「0歳から100歳までのプレーパーク」として一つになろうとしています。福武さんに支えていただきながら少しずつ形にしてきたことが、今後の指針をつくることにつながりました。

今後は地域コミュニティ施設として、地域のみなさんの力になれるようがんばっていきたいと思います。

おわりに

右:和田広子財団職員

今後の構想を伺った時、お二人から「一つの村のようなコミュニティにしたい」という言葉がありました。年齢関係なく、気兼ねなく朗らかにコミュニケーションが取れる村……。そんなイメージが取材中に思い浮かび、今まで以上に多世代が集う備前プレーパークが楽しみになりました。

明るく未来を語ってくださった一方、数々のピンチを乗り越えてきたことについては、涙を浮かべながら話されていたひろみさん。その姿から、思いを実現することや周囲の協力を得ることの難しさも感じました。それでも理想を掲げ、その理想を口に出し続けてきたことが、これからの未来を創る礎になっているのだと思います。

NPO法人備前プレーパークの会
備前市久々井1390‐1
問合せ先
0869‐63‐3332
Webサイト
https://bizenplaypark.org/