助成先を訪ね歩く(取材日:2023年6月16日)

自分たちの暮らしは自分たちで楽しく

NPO法人 ENNOVA OKAYAMA 元代表 打谷直樹

  • 知る
  • 2023.08.03

助成を受けた団体が助成金をどのように活用してきたのか、またその活動が地域にどのような影響を与えているのかを取材しました。今回は、旧内山下小学校を活用したイベントなどを手掛けている「NPO法人 ENNOVA OKAYAMA」(エンノバ おかやま)元代表の打谷直樹(うちたに なおき)さんです。(取材・文/小溝朱里)

旧内山下小学校

岡山市北区丸の内に位置する、旧内山下小学校(きゅううちさんげしょうがっこう)。1887年に岡山区高等岡山小学校として開校し、2001年に閉校しました。

敷地内には、国の重要文化財に指定されている岡山城西手櫓(おかやまじょうにしてやぐら)があります。岡山城西の丸の正面の防備のために、江戸最初期に池田利隆(いけだ としたか)の手によって建造された櫓です。

旧内山下小学校がある地域は現在、岡山城や岡山後楽園があるほか、文化施設が集まる場になりました。「岡山カルチャーゾーン」と名付けられたそのエリアの特性を活かし、岡山市中心部のにぎわい創出イベントの場として主に活用されています。

NPO法人 ENNOVA OKAYAMA

NPO法人 ENNOVA OKAYAMA(以下、ENNOVA OKAYAMA)は、2011年に設立されました。「縁」と「自治」をキーワードに人と地域を結ぶきっかけをつくることによって、自分たちの暮らしを自分たちの手で変えられる可能性やヒントを見出す様々な活動を行っています。

岡山に新しい「希望」を紡ぎだす講演会プログラム、「希望のつくりかた」の開催から活動をスタート。メイン事業である「マチノブンカサイ」は、旧内山下小学校を活用して開催。法人設立翌年から現在まで続く、ENNOVA OKAYAMAを代表する事業です。

最初に代表を務めたのが打谷直樹さん。当時の活動や現在まで続く思いなどを伺いました。

共通の思い「自分たちの暮らしを楽しくしたい」

打谷直樹さん

―ENNOVA OKAYAMAを始めたきっかけを教えてください。

打谷(敬称略):自分たちがしたい暮らしは、誰かに頼っていてもできないと思いまして。ファッションやカルチャー、飲食や音楽を通して「自分たちで暮らしをつくっていこう」という思いで設立しました。当時は15人ほどメンバーがいましたね。

―なぜ代表になられたのですか?

打谷:前身であるNPO法人SAUDADEHAUS(サウダージハウス)の代表から、「次は打谷ね」とご指名いただきました。当時の僕は29歳。飲み仲間では一番年下だったんです。しかも県外から岡山に転勤してきたサラリーマンでした。きっと、一番の若者だった僕がまちに出ていくためのきっかけを作ってくださったのだと思います。

―打谷さんが代表だった頃はどのような活動をしていましたか?

打谷:SAUDADEHAUSの頃からやっていた講座「希望のつくりかた」と、旧内山下小学校を活用した「マチノブンカサイ」を開催していました。

「希望のつくりかた」は、自分たちのまちを自分たちで考えるうえで、先輩たちにまちとの関わり方を学ぶために企画。例えば、しょうぶ学園の理事・福森伸(ふくもり しん)さんやBEPPU PROJECTの代表理事だった山出淳也(やまいで じゅんや)さんなどを招いて話を伺いました。

また「マチノブンカサイ」は、旧内山下小学校を活用したくて始めた事業です。「民間の僕たちだったら、旧内山下小学校をこう使います」というプレゼンを、近隣住民の方や管理する行政職員の方々にイベントを通じて行いました。イベント当日はアーティストを招き、ライブをしたりワークショップをしたりと1日楽しんでいただけます。大変さもありつつ、自分たちの手で一から作っていけるのはやりがいがありました。

旧内山下小学校(写真提供:打谷直樹)

―打谷さんが代表を退いた後も、ENNOVA OKAYAMAさんは代表を変えながら活動を継続している印象です。「代表を交代しながら運営」することは意識していたのでしょうか。

打谷:他の代表の思いは分かりませんが、僕は意識していません。代表を退いてから数ヶ月は、理事としてENNOVA OKAYAMAに残っていました。ですが運営方針は基本的にお任せ。現在は完全に退いています。

僕のあとに代表を務めたのは3人。やりたいことがある人が代表になっている印象ですね。やりたいことは各々違いますが、「自分たちでまちを面白くしたい」「民間の立場からまちの価値を作っていきたい」という思いは共通していると思います。

助成金が自走の後押しに

マチノブンカサイ(写真提供:打谷直樹)

―なぜ福武教育文化振興財団の助成を受けようと思いましたか?

打谷:2013年のマチノブンカサイの開催資金の足しにしたくて申請しました。企画ごとに資金を集めて事業を行っていたため、助成金の存在はありがたかったです。

―当財団の助成を受けてよかったことを教えてください。

打谷:助成金額は最大でも30万円なので、「活動の一部でしかない」のがよかったと思います。助成金で賄えない活動資金をどうするか、自然と考えることになるので「何が世の中のためになるのか」「どうすれば事業として成り立つか」を試行錯誤していました。自走するための後押しをしていただいたと思います。

また報告書を書くのもよかったです。活動を棚卸し、振り返るいい機会になりました。

―今後の目標を教えてください。

打谷:ENNOVA OKAYAMAを卒業後は、2011年から起業し並行して事業を行っていた株式会社HITPLUS(ヒットプラス)に専念しました。事業者とまちをマッチングする不動産事業を通して、出店支援や店舗プロデュース、コンサルティング、イベント企画・運営等を行っています。また個人では、一般社団法人旭川しろうちアライアンスとしてもまちづくりに携わっています。

今は飲食店の出店に携わることが多いので、飲食従事者が持続可能な形で働ける方法を模索したいです。

飲食業って、自分の理想を追求すればするほど自分の首を絞めるような働き方になってしまうことがあるんです。また、大箱といわれている店舗がどんどん減少して、料理人の技術が継承されず、次の料理人が育たない、まちにいい飲食店がなくなるかもしれない……という危機感があります。

今考えているのは、家で料理をするのが好きなアマチュア料理人がまちに飛び込むきっかけになるイベントや、イタリアンのシェフが実は得意なラーメンを披露するイベントなど。それらイベントの恩恵で、僕たちは日頃食べられない料理を楽しめる場を開設する予定です。飲食に携わる多くの方がまちに飛び込むきっかけになったり、ストレス解消になったりすることで、必要としてもらえる場所をつくりたいです。

食も「食文化」というくらいなので、福武教育文化振興財団さん助成の対象になるんですよね。周りの力も借りつつ、自分たちのまちが楽しくなるような活動を今後も続けていきたいと思います。

おわりに

左:和田広子財団職員

打谷さんは、所属を変えた今でもまちづくりに関わっていらっしゃいます。「自分たちのまちを、自分たちで楽しくする」という、打谷さんの変わらない思いも知ることができました。

まちづくりにおいて、「このまちのために」という視点は大切だと思います。一方で「自分たちが暮らしを楽しむために」という視点も、同じくらい大切にしてもいい。むしろ後者の視点を持っていることが、活動を続けていく糧になりうるのではないかと、今回の取材で感じました。

株式会社HITPLUS
岡山市北区出石町1‐7‐7
問合せ先:
086-250-3931
info@hitplus.jp
Webサイト:https://hitplus.jp/